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経営サポート隊通信
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Vol.107 2020年11月号

2020年11月02日

11月になりました。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
今月も経営サポート隊通信を元気にお届け致します!

【河合由紀子のちょっとイイ話】(致知2020年1月号より抜粋、編集)
今月は、豊田紡績の創業者でありトヨタの創業者豊田喜一郎の父でもある豊田佐吉の話を抜粋して、ご紹介します。
『大工の父と機織りの内職をして生計を支えていた母のもとで育った佐吉は、苦労している母を助けたいと、自動織機の発明に取り組みます。研究資金集めに苦労した佐吉でしたが、協力者を得て明治28年、29歳の時に日本初の蒸気で動く力織機を発明します。しかし、明治39年大切な特許を手放さなければならない事態に陥ります。そこから懸命に資金を集め、明治44年には紡績工場を立ち上げ、工場で得た利益を織機の発明に充てていきます。さらに開発した自動織機の性能を確認するために良質な綿糸の供給が必要になり、紡績工場も建設します。そして、大正13年58歳にしてG型自動織機を完成させました。G型自動織機は生産性や品質で世界一の画期的な織機でした。
佐吉の人生は、特許を失う最悪の逆境から大きく反転し、隆盛の軌道に乗りました。明治44年の紡績工場の立ち上げには大きな困難が伴いましたが、その決断があったからこそ、大きな成功を手にすることができたのです。その時こそが真の「自力経営」の始まりであったと佐吉は述懐しています。
しかし、佐吉の自立自助の精神は、若き日に発明家を志した時からブレることなく貫かれてきた人生の基本姿勢であったことは、彼が残した言葉からも明らかです。
「男は四の五のいらぬことを考える必要はない。志を立てた以上、迷わず一本の太い仕事をすればよい」「仕事は人が探してくれるものではなく、自分で身につけるべきものだ。職は人がつくってくれるものではなく、自分自身でこしらえるべきものだ。それがその人にとっての、本当の仕事となり、職業となる。とにかくその心掛けさえあれば、仕事とか職業とかは無限にあるといっていい。いつの時代でも新しいことは山ほどある」「わしは他人よりよけいに創造的知能に恵まれているわけではない。すべて努力の結晶だ。世間はその努力を買ってくれないで『天才だ』と言って片付けてしまう。私には遺憾千万」「わしの今日があるのは、天の心というものだ。それなら、こちらも社会へ奉仕せにゃいかん道理だ。誠実というその字を見ろ。言うことを成せという言葉なんだよ」』
トヨタグループの礎を築いた豊田佐吉ですが、その詳細はあまり知られていないのではないでしょうか。発明の精神、自力経営など、今のトヨタにつながる部分があると感じられます。
「職は自分でこしらえるべきもの」「いつの時代でも新しいことは山ほどある」といった言葉は今の時代にも通じる、勇気づけられる言葉です。環境のせいにするか、自ら切り開くかは考え方次第ということを教えてくれているのではないでしょうか。


Vol.106 2020年10月号

2020年10月01日

10月になりました。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
今月も経営サポート隊通信を元気にお届け致します!

【河合由紀子のちょっとイイ話】
今月は、一倉定の社長学シリーズ「新・社長の姿勢(日本経営合理化協会出版局)」から、伊勢湾台風の際に近鉄の社長であった佐伯勇氏の話を抜粋してお届けします。
『伊勢湾台風の時である。近鉄名古屋線は木曽川の堤防決壊によって名古屋―桑名間の鉄路が水浸しとなり、不通となってしまった。当時の社長佐伯勇はパリに滞在中であった。(中略)本社から帰国の要請を受けた社長は、予定を変更して急遽帰国した。直ちに名古屋からジープを飛ばして木曽川の決壊の現場に駆け付けた。満満と水をたたえたその上に、木曽川の鉄橋が無事の姿を浮かべていた。これを見た社長は、その場で決定というよりは決断ともいうべき重大事を決めたのである。それは、「かねてよりの懸案である“ゲージ”統一を、この際実現する。復旧でなくて建設だ」というワンマン決定である。
当時の近鉄の名古屋線は、大阪から伊勢の中川までは広軌、中川から名古屋までは狭軌であった。そのために、大阪―名古屋間の特急は、中川で乗り換えなければならず、大きなネックになっていたのである。当然のこととして、ゲージを統一して中川―名古屋間を広軌に変えるということが決まっていたが、いろいろな都合でいまだ実現せずに、懸案となっていたのである。社長は翌日、大阪の本社で役員会を開き、渋る役員たちを説得して、全社をあげて建設準備を開始した。やがて水が引き、工事が可能となった。社長の号令一下、全員死に物狂いの突貫工事が開始された。そして、たった9日間で工事を完成させてしまった。離れ業である。こうして名古屋線は広軌一本化が完成し、近鉄の大きな収益源となったのである。
この建設工事に大きな力となったのは、台風で被災した社員である。はじめ、パリで台風被害の報告とともに、700人の被災社員の報告を受けた時に、社長は「前例にとらわれず、会社として最大限の援助をせよ」という指令を発しておいた。もしも「よきに計らえ」という馬鹿殿式の支持をしたならば、役員は必ず“慶弔規定”と“前例”にもとづいた、形式的な見舞い程度のものになってしまう。これでは被災者の援助にはならない。そこで、この指令になったのである。このために、被災社員は大感激して、「社長の温情に報いる道は、この建設工事を、どんなことがあっても成功させることだ」となった。被災しなかった社員も、社長の温情を目の当たりに見て、「社長は、われわれが本当に困った時には救いの手を差し出してくれる」という信頼の上に成り立っているのである。“ストライキのない近鉄”は、このような社長と社員の相互信頼の上に成り立っているのである。』
ピンチをチャンスに変える決断は、会社のためになることであればルールを破ることもできる社長の大きな役割であると言えますね。


Vol.105 2020年9月号

2020年09月01日

9月になりました。

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今月も経営サポート隊通信を元気にお届け致します!

 

【河合由紀子のちょっとイイ話】

今月は、京セラの創業者でありJALの再建を成功させ、多くの経営者の学びの場となる盛和塾(2019年12月解散)の塾長を長年務めた稲盛和夫氏の著書『生き方~人間として一番大切なこと~(サンマーク出版)』から「人生の方程式」について書かれた部分を抜粋してご紹介したいと思います。
本書では、稲盛氏が仕事をし、経営に携わるなかで学びとってきた人間として守るべきシンプルな原理原則が紹介されています。その中の一つ、「人生の方程式」つまり「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」について次のように解説されています。
『この「人生の方程式」は、人並みの才能しかもたなかった私が、人並み以上のことをなして、世のため人のためにわずかなりとも役立つためにはどうしたらいいかと考えた末に見いだした方程式であり、その後、実際に仕事をし、人生を歩むうえで、つねに自分の生き方のベースとしてきたものです。
そのポイントは掛け算である点にあります。たとえば、頭脳明晰で90点の能力をもつ人がいたとします。しかし、この人がその能力を鼻にかけて努力を怠り、30点の熱意しか発揮しなかったとすれば、その積は2700点にとどまります。
一方、頭の回転は人並みで60点くらいの能力しかもたない人が、そのぶんを努力でカバーしようと、90点を超えるような、あふれるほどの熱意をもって仕事に取り組んだとすれば、どうなるか。その積は5400点。前者の才あって熱なしの人物よりも、倍の仕事を成し遂げられる計算になります。
さらに、そこに「考え方」の点数が掛け合わされます。この考え方がもっとも重要なのは、それが方向性も表しているからです。つまり考え方には、いい考えもあれば悪い考えもある。プラスの方向に向かってもてる熱意や能力を発揮する生き方もあれば、マイナスの方向へ向けてその熱意や能力を使う人もいるのです。
したがって、この考え方という要素だけはマイナス点も存在し、熱意や能力の点数が高くても、この考え方がマイナスであったら、掛け算の答え(人生や仕事の結果)もマイナスになってしまいます。才能に恵まれた人が情熱を傾けて、詐欺や窃盗などの犯罪という「仕事」に励んでも、そもそも考え方がマイナス方向に働いているので、けっしてよい結果は得られないということです。
このように、人生の方程式は掛け算で表されるがゆえに、まず考え方が正しい方向に発揮されなければなりません。さもなくば、どれほどすぐれた能力をもち、強い熱意を抱こうとも、それは宝の持ち腐れところか、かえって社会に害をなすことにもなりかねないのです。』
いかがでしょうか?「考え方」にはプラスもマイナスもあるため、考え方が方向性を決める最も重要な要素であり、能力は熱意でカバーされるというのは、本当にその通りだと思います。


Vol.104 2020年8月号

2020年08月03日

8月になりました。

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【河合由紀子のちょっとイイ話】

今月は、先日たまたま目にした記事をご紹介したいと思います。

日経ARIAの「人生はいつもクラッシック」という特集で見つけたものです。“クラッシック音楽を愛する各界のリーダー層が自身にとって忘れられない一曲と共に人生を語る”という内容なのですが、蓑田秀策さんという方が語られていた内容が印象に残りましたので、その一部を抜粋してご紹介します。蓑田さんは、みずほ銀行役員を経て、現在“一般社団法人100万人のクラッシックライブ”を設立され、代表理事を務めておられます。

私は、人生は400メートルトラックを走るようなものだと思っています。生まれて最初の20年ほどは、学校で勉強という名の直線距離をひた走り、大人になる準備をする。ここで成績がいいからといって、そのまま人生を一番で走り通せるとは限りません。社会に出て行く最初のカーブをうまく曲がりきれない人も中には出てきます。

ひとまず社会に適応できた人は、10年くらいかけて必死に仕事を覚えます。そしてこの道でやっていこうと思い定めたときに、次の直線が始まります。よりよい銀行員になろう、もっとビジネスで成功しようと一心に上を目指す。これが50歳くらいまで続きます。世間が「この人はどんな人か」ということを見るとき、大体この直線で成果を上げたかどうかで判断します。でも、人生はここでは終わりません。

成功した人もそうでない人も、次のカーブを曲がらなくてはいけない。それは、一線を退いていくというカーブです。ものすごく成功して偉くなった人が、往々にしてこのカーブをうまく曲がりきれないということが起こります。「俺は大会社の社長だった」という人が、町内会で無意識のうちに横柄な態度を取って「おかしな人」と思われてしまったり、大変なお金持ちになった人も、お金があり過ぎて何をしていいのか分からなくなってしまったりするんです。

一線を退くカーブを曲がった先には、人生最後の直線が待っています。今までの直線には、いい成績で卒業するというゴール、仕事で成果を上げるというゴールがありました。でも最後の直線の先にあるのは死だけ。そこをいかに走るかが、人生の豊かさを決めるのではないか。』

人生の局面を考える際に、とても分かりやすい考え方だと感じました。今、自分は人生のどんな局面にあるのかを考えることは、これからの10年、5年、1年で何をしていくかを選択する際に重要な要素になると思います。目の前のことに、一生懸命取り組むことはとても大切ですが、少し立ち止まり、人生を俯瞰することで、これからの方向性を大きく変化させることにつながるかもしれません。

 


Vol.103 2020年7月号

2020年07月01日

7月になりました。

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元気にお届け致します!

【河合由紀子のちょっとイイ話】

(『致知』2020年4月号「生涯、茶の心で生きる」千玄室 より)

今月は、茶道裏千家の前家元で現在数え年98歳になられる千玄室氏の講和記事から抜粋してお届けします。

千玄室氏は千家の長男として生まれ、茶道と共に武家作法で鍛えられたと言います。そして、昭和18年大学在学中の20歳になったころ徴兵検査を受け、特攻隊の編制に加えられます。出撃命令が下り、隊長に呼ばれていくと、突然の「出撃命令取り消し」。忸怩たる思いを抱えながら、京都の実家に戻り、大徳寺で禅の修行に打ち込み、その後、アメリカでお茶の普及活動をするなど活躍の場を広げていきます。

松下幸之助氏が千玄室氏の父の弟子だったこともあり、松下氏が京都に滞在する際にはお屋敷の中に作られた茶室で朝の8時から茶室の準備をするのが常だったそうです。松下氏は「お茶というのはほんまにええもんや。どんな人にも、たった一碗のお茶を、いかがですかと勧め合う。点てていただいた方には、いただきますと感謝をする。こんな教えがどこにある。お茶だけや」と千氏に伝えたといいます。そんな松下氏にまつわるエピソードが紹介されていますので、そのまま抜粋します。

『ある日、松下さんが「僕は大阪のロータリークラブの会員やけど、あまり例会に出席していない。きょう京都のどこかでやっているところがあったらぜひ出たい」とおっしゃったことがあります。たまたま北ロータリークラブがやっておりましたので、先方には何の連絡もせずにそこにご案内いたしました。松下さんが来られたというので、もう皆びっくり仰天です。それ以上に驚いたのは松下さんがご自分から名刺を出し「私、松下幸之助です」と一人ひとりに頭を下げて挨拶を始められたことです。天下の大実業家の松下幸之助さんが自分から頭を下げて名刺を出されるのですから、これには誰もがひっくり返りました。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とはこのことだなと私も思わず唸りました。』

千氏は、こうして自分が生かされているのは多くの人たちが命を繋いでくれたお蔭だということを決して忘れてはいけない、生きていく上で大事なのはまさにここなのです、と語っています。

特攻隊に配属されながら出撃直前で出撃が取り消され、偶然助かった命ですが、その時の空虚感は今でも続いているそうです。そして、亡くなった戦友に対していまもなお本当に忸怩たる思いを持っておられます。しかし、これまで元気で長生きできたのは、仲間が生かしてくれたのだ、仲間が自分の分も頼むぞと思って守ってくれたという思いを胸に、そんな仲間の分まで頑張ろうと生きてこられたそうです。

そんな千玄室氏は、現在「一盌(いちわん)からピースフルネスを」の理念を掲げ、日本・国連親善大使、ユネスコ親善大使等の国際的要職につき、また、茶道の普及のために国内外を飛び回る活躍をされています。元気で生き生きと、生かされていることに感謝しながらいくつになっても活躍されている姿、お手本にしたいです。


Vol.102 2020年6月号

2020年06月01日

6月になりました。

皆様いかがお過ごしでしょうか?

今月も経営サポート隊通信を元気にお届け致します!

 

【河合由紀子のちょっとイイ話】

ここ数カ月、新型コロナウイルス関連の情報を目にしない日はなく、経済、生活に直接影響を及ぼしているだけに、精神的に疲れている方も多いのではないでしょうか。企業の倒産、政府の政策への批判、自粛警察と呼ばれる相互監視社会のような状態にも、心が痛みます。

しかし、立ち止まってはいられません。また、悲しいことばかりでなく、心温まるお話も目にする機会が増えているように思います。私事ですが、20年来、半年に1度集まる気の置けない仲間がいます。しかし、コロナのため集まることができず、寂しく思っておりましたところ、裁縫の得意な人は手作りマスクを、料理の得意な人は自家製の瓶詰やリキュールなどを、仲間たちが互いに送りあって楽しんでいる様子が共有されました。オンライン飲み会、医療機関等への食事の差し入れ、他にも様々な工夫により温かい繋がりが保たれていることにホッとしています。これらの情報は全てインターネットで得ました。事業でもプライベートでも、これからますますインターネットはなくてはならない存在になると感じます。

ところで、オンライン版日経ビジネス(2020年5月13日)に『「コロナ後」の経営を描く3つの視点』という記事を見つけましたので、内容を要約して共有させていただきます。

『1つ目はコロナで工場や店舗を休んでいる間に、企業としての価値を高めることだ。(略)平時には日々の仕事に追われ、新規事業や仕事の効率化をじっくり考える余裕は少ないだろう。しかし、今なら現場でアイデアを試す余裕はたっぷりとある。種をまくことが将来につながる。

2つ目は、社内の人材教育に力をいれることだ。コロナが収束して業績を回復させるとき、原動力になるのは人材だ。社員の雇用はできる限り維持し、今のうちにスキルを身につけさせたい。感染防止のために集合研修などは難しいかもしれないが、在宅勤務のためにノートパソコンを社員に持たせる会社は増えており、ビデオ会議ツールやeラーニングなどの仕組みを使った教育はしやすくなる。会社への通勤などがなくなった分、時間的な余裕も増えるからだ。(略)これまでと違ったコミュニケーションスタイルの浸透は、社内のマネジメントも変えていく。堀場製作所の堀場厚会長は「在宅勤務の拡大で、社員は家でも頑張ってくれているはずという信頼ベースに基づく働き方が増えてくる。トップダウンのマネジメントから、自ら考え、行動する社員によるフラットな組織づくりへの移行が今まで以上に重要になる」と見る。

3つ目に考えるべきことは、事業のオンライン対応を進めることだ。コロナの影響による“巣ごもり消費”の拡大は、年配層など新たな利用者をネット販売に呼び込んでいる。この変化からは中小企業も無縁ではいられない。住宅リフォーム会社(マエダハウジング(広島市))は、ビデオ会議ツールを使ったオンライン相談を強化している。』

変わらずリスクは回避しなければなりませんが、コロナの収束までに次の時代への準備ができるか、既存の考え方にとらわれない、自由な発想がカギになりそうです。


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