Vol.95 2019年11月号
2019年11月01日
こんにちは!!11月になりました。
紅葉のきれいな季節ですね。
今月も経営サポート隊通信を
元気にお届け致します!
【河合由紀子のちょっとイイ話】
(『指導者の条件―人心の妙味に思う』松下幸之助著 PHP文庫)
今月は1975年に刊行された松下幸之助の著書『指導者の条件』から、「とらわれない」という一節をご紹介したいと思います。
『徳川の時代も末になると、指導階級である武士たちも、長年の太平になれ、かつてのような尚武の気風がうすれてきた。長州藩でも、攘夷の旗印をかかげながら、一たび外国の攻撃を受けると、「武士というものは、あのように弱くなり役に立たなくなってしまったのか」と百姓、町人が嘆くような惨たんたる有様を露呈してしまった。そういう時に、高杉晋作は、奇兵隊というものを創設し、志あり力量ある者ならば身分を問わないということで隊員を募集した。その結果、下層の藩士はもちろん、農民、町民、猟師などで入隊するものが相次いだ。そして、その隊士たちに厳重な規律を課し、きびしい訓練を行った結果、第二次長州征伐において、この奇兵隊は武士ばかりからなる政府軍を各地で打ち破り非常な戦果をあげたのである。
いかに太平になれて武士が軟弱になっていたといっても、戦は本来武士が行うものということは、当時としてはいわばぬきがたい常識であったと思う。現に明治に入って、はじめての徴兵制がしかれ、一般庶民による軍隊がつくられることになった時、非常な危惧と反対があったといわれている。明治に入ってからでさえそうだとすれば、それより十年近く以前、まだ時代の行方もわからない時にあっては、思いもよらないことだったと思う。それをあえてやったというのは、高杉晋作が、当時の世界の情勢、外国の軍隊の在り方を見、また日本の姿を見て、これまでの固定観念にとらわれずに、いかにあるべきかということを考えたからであろう。そうしたとらわれない見方に立つと、もうこれからは今までのように武士を中心にしていたのではやっていけない、もっと広く有為の人材を集めなければならない、ということになったのだと思う。
人間というものは、ともすれば一つの考えにとらわれがちである。特に過去の常識とか通年というものからなかなかはなれられないものである。しかし、時代は刻々と移り変わっていく。昨日是とされたことが今日もそのまま通用するとはかぎらない。だから、指導者は、過去の常識、固定観念、そのほか何ものにもとらわれることなく、つねに新しい目でものごとを見ていくように心がけなければならない。そして、そのとらわれない心で次々と新たな発想をしていくところに、進歩も発展もあるのだと思う。』
「とらわれることなく」というのは自然にしていればとても難しいことで、心がけることが大切だと思います。