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経営サポート隊通信
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Vol.108 2020年12月号

2020年12月01日

皆様いかがお過ごしでしょうか?
今月も経営サポート隊通信を
元気にお届け致します!

【河合由紀子のちょっとイイ話】
2020年を振り返ると、昨年末ごろから感染拡大が始まった新型コロナウイルスの影響が、世界的に人々の暮らし方を変え、事業のあり方を変え、すべてのものを根底から変えるようなインパクトを与えた年だったと言えると思います。
過去にさかのぼれば、ペストやスペイン風邪など細菌やウイルスの世界的なパンデミックが何度もありました。そのたびに多くの犠牲者を出し、そして社会の枠組みが大きく変わりました。
例えば、14世紀のペストのヨーロッパでの大流行は、当時のヨーロッパの人口の4分の1から3分の1を失ったとされています。それと同時に、ペストの脅威を防ぐことができず、また当時腐敗していた教会の権威が失われ、人口の減少により賃金の上昇をもたらし、封建的な身分制度が実質的に解体されたとされています。
新型コロナウイルスの終息については、いまだ先の見えない状況が続いています。現在、治療薬やワクチンの開発が進められていますが、ウイルスの変化や安全面などを考えると、すぐに実用化するのは難しい気もします(専門家ではありませんので正確なことはわかりませんが)。スペイン風邪は免疫を持つ人が増えたことにより終息を迎えたようですが、それを待つとなるとどれくらい今の状態が続くのか、とネガティブな気持ちになってしまします。しかし、終わりのないパンデミックは歴史を見てもありませんので、今を生きることと今後に目を向けてみたいと思います。
まず、人が生きている限り必要なモノやサービスは変わりません。ただ、優先順位が変わったり、提供の仕方が変わったり、流通方法が変わったり、という仕組みの部分での変化は考えられると思います。また、新型コロナウイルスに関係なく、外国からの労働者を受け入れない限り、日本では今後労働人口は激減しますので、労働集約型の産業では人の確保をどうするか、あるいは機械化を考える、別の得意分野を伸ばして成長させる方法を考える、といったことが必要になってくると思われます。世界的に見れば、日本の食料自給率の低さも心配なところです。
どのような未来が訪れるかは誰にも正確にはわかりませんが、今わかっていることから未来を予測して準備することはできます。新型コロナウイルスの世界的流行、人口の変動、国際情勢、様々なことが大きく変わるまさに潮目の真っ只中にいると感じた一年でした。
2021年はどんな年になるでしょうか。どんな年にしたいですか。この世界に少しでも良いことが増えますように。皆様の健康とご多幸をお祈りしています。

今年も大変お世話になりました。来年も何卒よろしくお願いいたします


2020年12月の金言

2020年12月01日

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Vol.107 2020年11月号

2020年11月02日

11月になりました。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
今月も経営サポート隊通信を元気にお届け致します!

【河合由紀子のちょっとイイ話】(致知2020年1月号より抜粋、編集)
今月は、豊田紡績の創業者でありトヨタの創業者豊田喜一郎の父でもある豊田佐吉の話を抜粋して、ご紹介します。
『大工の父と機織りの内職をして生計を支えていた母のもとで育った佐吉は、苦労している母を助けたいと、自動織機の発明に取り組みます。研究資金集めに苦労した佐吉でしたが、協力者を得て明治28年、29歳の時に日本初の蒸気で動く力織機を発明します。しかし、明治39年大切な特許を手放さなければならない事態に陥ります。そこから懸命に資金を集め、明治44年には紡績工場を立ち上げ、工場で得た利益を織機の発明に充てていきます。さらに開発した自動織機の性能を確認するために良質な綿糸の供給が必要になり、紡績工場も建設します。そして、大正13年58歳にしてG型自動織機を完成させました。G型自動織機は生産性や品質で世界一の画期的な織機でした。
佐吉の人生は、特許を失う最悪の逆境から大きく反転し、隆盛の軌道に乗りました。明治44年の紡績工場の立ち上げには大きな困難が伴いましたが、その決断があったからこそ、大きな成功を手にすることができたのです。その時こそが真の「自力経営」の始まりであったと佐吉は述懐しています。
しかし、佐吉の自立自助の精神は、若き日に発明家を志した時からブレることなく貫かれてきた人生の基本姿勢であったことは、彼が残した言葉からも明らかです。
「男は四の五のいらぬことを考える必要はない。志を立てた以上、迷わず一本の太い仕事をすればよい」「仕事は人が探してくれるものではなく、自分で身につけるべきものだ。職は人がつくってくれるものではなく、自分自身でこしらえるべきものだ。それがその人にとっての、本当の仕事となり、職業となる。とにかくその心掛けさえあれば、仕事とか職業とかは無限にあるといっていい。いつの時代でも新しいことは山ほどある」「わしは他人よりよけいに創造的知能に恵まれているわけではない。すべて努力の結晶だ。世間はその努力を買ってくれないで『天才だ』と言って片付けてしまう。私には遺憾千万」「わしの今日があるのは、天の心というものだ。それなら、こちらも社会へ奉仕せにゃいかん道理だ。誠実というその字を見ろ。言うことを成せという言葉なんだよ」』
トヨタグループの礎を築いた豊田佐吉ですが、その詳細はあまり知られていないのではないでしょうか。発明の精神、自力経営など、今のトヨタにつながる部分があると感じられます。
「職は自分でこしらえるべきもの」「いつの時代でも新しいことは山ほどある」といった言葉は今の時代にも通じる、勇気づけられる言葉です。環境のせいにするか、自ら切り開くかは考え方次第ということを教えてくれているのではないでしょうか。


2020年11月の金言

2020年11月02日

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Vol.106 2020年10月号

2020年10月01日

10月になりました。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
今月も経営サポート隊通信を元気にお届け致します!

【河合由紀子のちょっとイイ話】
今月は、一倉定の社長学シリーズ「新・社長の姿勢(日本経営合理化協会出版局)」から、伊勢湾台風の際に近鉄の社長であった佐伯勇氏の話を抜粋してお届けします。
『伊勢湾台風の時である。近鉄名古屋線は木曽川の堤防決壊によって名古屋―桑名間の鉄路が水浸しとなり、不通となってしまった。当時の社長佐伯勇はパリに滞在中であった。(中略)本社から帰国の要請を受けた社長は、予定を変更して急遽帰国した。直ちに名古屋からジープを飛ばして木曽川の決壊の現場に駆け付けた。満満と水をたたえたその上に、木曽川の鉄橋が無事の姿を浮かべていた。これを見た社長は、その場で決定というよりは決断ともいうべき重大事を決めたのである。それは、「かねてよりの懸案である“ゲージ”統一を、この際実現する。復旧でなくて建設だ」というワンマン決定である。
当時の近鉄の名古屋線は、大阪から伊勢の中川までは広軌、中川から名古屋までは狭軌であった。そのために、大阪―名古屋間の特急は、中川で乗り換えなければならず、大きなネックになっていたのである。当然のこととして、ゲージを統一して中川―名古屋間を広軌に変えるということが決まっていたが、いろいろな都合でいまだ実現せずに、懸案となっていたのである。社長は翌日、大阪の本社で役員会を開き、渋る役員たちを説得して、全社をあげて建設準備を開始した。やがて水が引き、工事が可能となった。社長の号令一下、全員死に物狂いの突貫工事が開始された。そして、たった9日間で工事を完成させてしまった。離れ業である。こうして名古屋線は広軌一本化が完成し、近鉄の大きな収益源となったのである。
この建設工事に大きな力となったのは、台風で被災した社員である。はじめ、パリで台風被害の報告とともに、700人の被災社員の報告を受けた時に、社長は「前例にとらわれず、会社として最大限の援助をせよ」という指令を発しておいた。もしも「よきに計らえ」という馬鹿殿式の支持をしたならば、役員は必ず“慶弔規定”と“前例”にもとづいた、形式的な見舞い程度のものになってしまう。これでは被災者の援助にはならない。そこで、この指令になったのである。このために、被災社員は大感激して、「社長の温情に報いる道は、この建設工事を、どんなことがあっても成功させることだ」となった。被災しなかった社員も、社長の温情を目の当たりに見て、「社長は、われわれが本当に困った時には救いの手を差し出してくれる」という信頼の上に成り立っているのである。“ストライキのない近鉄”は、このような社長と社員の相互信頼の上に成り立っているのである。』
ピンチをチャンスに変える決断は、会社のためになることであればルールを破ることもできる社長の大きな役割であると言えますね。


2020年10月の金言

2020年10月01日

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