Vol.155 2024年11月号
2024年11月01日
皆さまいかがお過ごしでしょうか?
今年も残り2ヶ月となりましたね。
今月も元気に経営サポート隊通信をお届けいたします!
【河合由紀子のちょっとイイ話】
今月は「致知」(2024年5月号)より93歳の現役料理人道場六三郎氏の
インタビューを抜粋してお届けします。
『冷蔵庫の使い方一つにしても工夫次第で差が出るんですよ。「あれ取って」と言われた時に、冷蔵庫をパッと開けてすぐ物を取り出して渡す。それができずに、「えっと、どこにあるんだっけ」とグズグズしていると、「バカ野郎」って言われてしまう。そこで、冷蔵庫の中を6つに仕切って整理整頓し、どこに何が入っているかメモを取り、扉に貼っておく。また、量が少なくなったら小さな容器に移し替え、冷蔵庫を広く使えるようにいつも心掛けていました。「軍人は要領を本文とすべし」と言われるように、段取りをきちんとしておけば、仕事が早く済むんです。スピード感がなくダラダラと働いているようじゃ使い物になりませんし、いつまでも仕事は上達しません。気づいたらすぐやる。面倒なことを先延ばしにしない。一気呵成にやることが仕事の鉄則です。(中略)これはよく言っていることですが、仕事にも人生にも締め切りがあります。ですから、常に先を見通して時間を無駄にせず、一つひとつの仕事をスピード感を持って仕上げていくことが大事ですね。僕は毎年、「今年はこれをできるようになろう」と目標を決め、それを必ずノートに書いて日々努力してきました。目標もなくダラダラと働いたり、人から言われた仕事だけを嫌々やったり、そういう姿勢では伸びていきません。
―道場さんにとって最大の逆境は何でしたか?
いろいろありましたけど、やっぱり最大の逆境、ターニングポイントはろくさん亭を開業する前、30代半ばで銀座の割烹「とんぼ」の料理長を務めていた時ですね。ある日、店の経営者が「道場さん、うちの重役になってくれ」と言うんですよ。「いいな」と思っていたら、「ちょっとお金を貸してくれないか」と。店は繁盛していましたので、僕は何の疑いもなくコツコツ貯金した500万円を全部下ろして、彼に貸しました。ところが、その一年後に会社が不渡りを出しましてね。後で分かったのは、方々から借り入れをして何とか店を経営していて、滞納していた売掛金もたくさんあったんです。彼は逃げちゃって貸したお金は一銭も返ってきませんでした。(中略)ほとほと困り果てた時に、「ああ、そうだ。僕にはお客様がいるんだ」と思って、僕ともう一人の債権者の共同経営という形で、同じビルの一階上のフロアに「新とんぼ」を開店しました。その時、保証金が2500万円くらい必要だったんですけど、大家さんが保証金なしで安い賃料で貸してくださったのは、実に有り難かったです。 おかげさまでとんぼ時代の常連さんをはじめ、開店当初からお客様がたくさん来てくださってね。一年目からちゃんと利益も出ていました。ただ、トップが2人いると指示系統も2つになって、店の内部に派閥が生まれ意見が割れてしまう。それで三年目に僕は自分の持っていた株を売って経営権を譲り、それを元手に銀座ろくさん亭を開店したんです。昭和46年、40歳の時でした。
空いていたビルの9階に出店したのですが、あの時代は飲食店といえば地下一階から地上二階までに出すのが通例でした。ビルの上階ではお客様が来ないだろうと。それでも僕は「惚れて通えば千里も一里」という諺のように、料理がおいしくてサービスもよければ、不利な条件であっても必ずお客様は来ると信念を持っていたんです。安い値段で出張料理を手掛けたり、一度でも来店してくれたお客様には季節ごとに必ず手紙を出したり、どうしたらお客様に来てもらえるのかをとにかく真剣に考え、一つひとつの料理やサービスの質を磨き高めていったんです。(中略)今振り返ると、普通ならコツコツ貯めた500万円を水の泡にして逃げた経営者を恨み、被害者意識の塊みたいになってもおかしくなかったと思います。だけど他人を恨んでもしょうがないし、自分で店をやっていける自信はありましたからね。きちんと調べもせずに軽率に貸した自分にも非がある。まあ、そう思ったのがよかったのでしょう。』いかがでしたか?私は「仕事にも人生にも締め切りがあります」ということばにハッとさせられました。仕事の締め切りは意識しても、日常的に人生の締め切りを意識することは少ないのではないでしょうか。続きは来月号に掲載いたします。