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経営サポート隊通信
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Vol.142 2023年10月号

2023年10月02日

早いものでもう10月、今年も残り3ヶ月ですね。
皆さまお元気でお過ごしでしょうか?
今月も元気に経営サポート隊通信をお届け致します!

 

【河合由紀子のちょっとイイ話】

(プレジデントオンライン2023.1.23「トヨタがやる仕事やらない仕事」野地秩嘉)

今月も先月に引き続きトヨタが取り組むカイゼンについてのプレジデントオンラインの記事をご紹介したいと思います。

『「原価低減、生産性向上ばかりを言い募ると、間違える人たちが出てきます。利益主義だと勘違いして、短期的な利益をあげるためのカイゼンに陥りがちなんです。(中略)でも、本当にその会社がよくなるのはやはり長期目標、長期計画にかかっていると思います。TPSもまさに同じで、地盤からしっかりやっていって、体質を強化して、やっと結果が出てくるのがわれわれのやり方じゃないかなと思うんですよ。短期の生産性向上を目当てにすると、結果だけを追ってしまう。それではやっているほうは疲弊しますし、長続きしないんです」

かつて、トヨタ生産方式をまとめた大野耐一さんはこう言っていました。「ザ・トヨタ生産方式はない」TPSは問題解決に使うものではあるが、ひとつのやり方に固定してはいけない。時代と状況によって変わるのが当たり前だ、と。そして、「ザ・モノと情報の流れ図」もありません。こちらもまたどんどん変えていけばいいのです。ですから、ネットに出回っているトヨタの考え方はすべて古いといってもいいでしょう。それくらい、変化しているのがトヨタです。

例えば、生産調査部は2018年から経理の仕事のうち決算業務についてカイゼンを始めたそうです。まず、お客さんとは何かを考えました。経理の場合のお客さん(後工程)とは誰かといえば、決算の数字の説明を聞く人と設定しました。経営陣、IRの関係者、そして何よりも株主です。そうして、モノと情報の流れ図を書いていったら、決算の仕事にはたくさんの標準作業があることがわかりました。3カ月間、調べて770もの標準作業があると分析できました。そのなかで、「どうして、この仕事をするの?」というものが全行程の10パーセントあったそうです。「昔からやっているから」という考えは捨てる。これはトヨタに限りません。経理だけの問題でもありません。毎日、当たり前のようにやっている標準作業の10分の1はすでに時代と状況に合わなくなっているのです。例えば、書類を郵送する、ハンコを押すといった作業はどこの会社でもまだ少しは残っているでしょうけれど、それはもういらないもの、やめるべき仕事になっているのです。この場合、「これくらいは残しておいていいじゃないか?」という考え方はするべきではありません。やめると決めたものはすっぱりやめる。また、昔は先輩たちがやっていたけれど、今はやっていないという標準作業もやめるべき仕事の筆頭です。ただ、これは自分たちだけで判断できる仕事ではありません。トヨタにおける生産調査部のような、他人の目で見てもらわなければなかなか自分の仕事を自分で切ることはできないのです。「自分がやっている仕事はやらなきゃいけない仕事だ、正しい仕事だ」と思っているからこそ、みんなやっているからです。モノと情報の流れ図を作るのは、そういう自分たちの従来の仕事を信じている人たちに客観的な視点からの姿を見せるためです。仕事には前の工程があって、また、後の工程があることをわかってもらいます。そして、自分たちの工程だけが生産性を向上させても、それが全体にどうかかわっているかを目で見てもらわなければ人は納得しないのです。自分が現在、やっている仕事を自分で日々、カイゼンできる人は本当のプロフェッショナルだと思います。

会議でも書類でも打ち合わせでも、トヨタのチームワークを形作っているのは困りごとを他人に相談するところから始まる。役員会でも「今年私が担当する部門ではこれくらい売り上げが上がった」といった話に反応する人はいません。ですから、そういう話は出てきません。会議では困りごとの共有がいちばん最初の議題で、それがなければ15分で終わることがあります。その代わり、困りごとがいくつも出てくれば1時間はきっちりやります。会議では成果、目標達成といったことについて話すことをやめればいいんです。成果や目標を達成したことは資料で回す、あるいは発表すればいいだけです。わざわざみんなで集まった場で、「オレはこんなに頑張った」と話す意味はありません。ただし、成功体験の共有は意味があります。それについても資料で回覧するもしくは、別にそれだけを話す場を設ければいいのです。会議では困りごとを発表し、みんなの知恵で解決の糸口を見つける。それだけで会議のムダを減らすことができます。実際に、トヨタではそうやっているのです。』


Vol.141 2023年9月号

2023年09月01日

日中は暑い日が続きますが、朝晩過ごしやすくなってきましたね。
皆さまお元気でお過ごしでしょうか?
今月も元気に経営サポート隊通信をお届け致します!

 

【河合由紀子のちょっとイイ話】

今月は先月に引き続き、プレジデントオンラインのノンフィクション作家野地秩嘉さんによる連載「トヨタがやる仕事、やらない仕事」(2023年1月23日)より、抜粋してお届けします。

『ある社員はこう教えてくれました。

「歴史観は大事です。トヨタに入るとまず(豊田)佐吉翁の逸話から始まるんですね。

佐吉さんのお母さんが夜なべして機(はた)を織っていた。それが大変そうだから、佐吉翁は自動織機を発明した。(豊田)喜一郎さんは関東大震災の時、電車やバスは止まったけれど、アメリカのトラックが縦横無尽に走っていた。その姿を見て、こんな大変な時に日本人が自分たちの手で作った車が1台もないのは悲しい、と。

それで、自動織機から自動車に移ったわけです。トヨタには産業報国という社是がありますが、産業によって国や国民に報いることをトヨタはちゃんとやっている。受け継がれているんです。きれいごとかもしれません。しかし、きれいごとを大切にするDNAがあるんです。やっぱりモノづくりの会社だからみんな真面目なんです。

研修でも、どなたかのために、何かのために、未来のために、環境のためにといったことをちゃんと教える会社です。ハウツーよりも、ビジネスパーソンとしての生き方を教えるんです。自分たちは何のために働いているんだ、と。

どなたかのためにやる。それで喜んでもらえたら、うれしいじゃないか。喜ばれる方の笑顔を思い浮かべながら働こうよみたいな会社なんですよ」
さて、生産調査部の尾上恭吾さんはトヨタ生産方式について、こう言います。

「TPSは原価低減、生産性向上が目的と説明されていました。しかし、これは本来の趣旨ではないんです。

社長の豊田(章男)が佐吉、喜一郎のことを思えば、『目的は誰かの仕事を楽にすることじゃないか』と初めて言いました。これまで生産現場のTPSであれば原価低減、生産性向上が目的と言えば、みんなすぐに理解できました。しかし、経理、広報、新車開発といった事務技術系の職場では原価低減、生産性向上を目的としたら、単に予算を減らせばいいと考える人が出てくるわけです。そこで、開発部門のTPS指導の際に『他の誰かの仕事を楽にする』をテーマにしたら、見事にハマりました。全社にトヨタ生産方式を広めようと思ったら、原価低減、生産性向上では通用しないんです」開発部門はカイゼン活動で、さっそく、「他の誰かのために」を形にしたそうです。

開発部門は長年、仕入れ先との間で、問題連絡書、通称、モンレンという書類のやりとりをしていました。

モンレンにはトヨタが出した仕様書に対する疑問、つまり、「このように書いてあるけれど、これはどういう意味ですか?」といったことが記してあります。そして近年、トヨタと仕入れ先の間でやりとりされるモンレンの数が圧倒的に増えてきたという問題が起こりました。ここをなんとかカイゼンしたい、と。調べてみると、問題点はモンレンの書き方でした。開発の人間は仕入れ先に与えるべき情報をいつの間にか絞ってしまっていたのです。そこで、新たにフォーマットを作り直しました。事前に仕入れ先に知らせておくべき情報の欄を大きくして、モンレンのなかに作ったのです。

そうしたら、両社の間を行き来するモンレンの数は劇的に減りました。こうして、仕入れ先という「他の誰か」の仕事は楽になったのです。同時に、トヨタの開発部もまたモンレンへの対応が減ったため、仕事が楽になりました。

世の中にひとりでやれる仕事はありません。どんな仕事にも関係者がいて、そのおかげで仕事が前に進むのです。ですから、相対する関係者の仕事が楽になれば、自分もまた楽になるのです。他人に尽くせば、自分にもちゃんと返ってくるのです。つまり、他人を楽にすると自分もまた楽になるわけですね。』(来月に続きます。)


Vol.140 2023年8月号

2023年08月01日

夏真っ盛りですが
みなさんお元気でお過ごしでしょうか?        
今月も元気に経営サポート隊通信をお届けいたします。

 

【河合由紀子のちょっとイイ話】

今月はプレジデントオンラインより、ノンフィクション作家の野地秩嘉さんによる連載「トヨタがやる仕事、やらない仕事」の第11回「トヨタが大切にしているもの」から抜粋してご紹介したいと思います。

『本稿ではトヨタが大切にしているものについてまとめます。

それは「他の誰かのために」です。なんだ、きれいごとかと言う人もいるでしょう。しかし、組織の目的とは、きれいごとであるべきです。「売り上げだ」「利益だ」「生産性の向上だ」というのは自分たちさえよければいいという自分勝手な目的です。企業は社会が必要としなければ長期的に存在していくことはできません。また、「売り上げだ」「利益だ」と言ってはばからない人は気持ちが緩んでいます。社会がそういう人のことをどう考えるかを想像できないようでは会社を経営していくことはできません。社会のことを見るのはもちろん、自社の目的や理念を語る時は慎重でなければならないし、また、特別に目立つようなことを言わなくていいのです。社会への貢献、弱い立場の人を思うことを自分の言葉でなく、退屈だと思われてもいいから、普通の言葉で伝えることです。トヨタは「他の誰かのために」とわかりやすい言葉、どこの国でも通用する言葉で語っています。

ある役員経験者から「トヨタには神社がある。新任役員の最初の仕事はそこにお参りすること。これは役員になった者だけの仕事だ」と聞いたことがあります。トヨタの本社工場のなかには豊興神社という神社があります。役員以上がお参りできる神社で、一般の社員は入ることはできません祀ってあるのはトヨタの物故者です。かつてお参りは元日でしたが、今は正月明けの最初の出社日になっています。経営陣、役員が揃ってお参りすることになっています。1年間の物故者、つまり、トヨタで働いていて亡くなった方々を悼み、感謝するためのお詣りです。もうひとつ、トヨタグループが建立した寺があります。蓼科(長野県)の聖光寺と言います。「交通安全の祈願」「交通事故遭難者の慰霊」「負傷者の早期快復」のために建てた寺で、毎年7月の夏季大祭にはトヨタグループの経営陣が集まり、交通安全を祈願します。他の自動車会社でここまでやっているところはないでしょう。社会的な責任を意識しており、「他の誰かのために」を考えている会社だからこそです。

しかし、社内に神社があることなどは秘密ではないけれど、世の中には伝わっていません。わたしが話を聞いた役員経験者が話していましたが、「豊興神社にお参りすると、トヨタの歴史をもっと知ろうという意識、社会に貢献しなければいけないという自覚が生まれる」とのことです。また、豊興神社へは11月3日の創立記念日にもやはり幹部がお参りするそうです。トップが頭を下げ「長年、トヨタのために尽くしてくださって本当にありがとうございます」と感謝するのだそうです。トヨタを作った先輩たちに感謝する、同時に歴史を大切にしている。他の幹部からも聞いたことがあります。「歴史と創業者を大切にしない会社はつぶれます」トヨタの役員になると、そういうことをいっそう強く感じるのでしょう。

トヨタ生産方式として知られる仕事のやり方があります。「トヨタ自動車のクルマを造る生産方式は、『リーン生産方式』、『JIT(ジャスト・イン・タイム)方式』ともいわれ、今や、世界中で知られ、研究されている「つくり方」です。トヨタのホームページには次のような説明が書いてあります。「お客様にご注文いただいたクルマを、より早くお届けするために、最も短い時間で効率的に造る」ことを目的とし、長い年月の改善を積み重ねて確立された生産管理システムです。トヨタ生産方式は、『異常が発生したら機械がただちに停止して、不良品を造らない』という考え方(トヨタではニンベンの付いた「自働化」といいます)と、各工程が必要なものだけを、流れるように停滞なく生産する考え方(「ジャスト・イン・タイム」)の2つの考え方を柱として確立されました」さらに、トヨタ生産方式のルーツは次のように解説されています。「ムダの徹底的排除の思想と造り方の合理性を追い求め、生産全般をその思想で貫きシステム化したトヨタ生産方式は、豊田佐吉の自動織機に源を発し、トヨタ自動車の創業者(2代目社長)である豊田喜一郎が『ジャスト・イン・タイム』による効率化を長い年月にわたり考え、試行錯誤の末に到達したものです」

この文章はトヨタの社員なら誰でも暗唱できるのではないでしょうか。それくらい、トヨタ生産方式と歴史観を大事にしているのでしょう。』

組織には長年にわたって培われてきた組織風土があります。良い風土、良くない風土がありますが、いずれも一朝一夕に出来上がったものではありません。トヨタの組織風土がどのようにして構築されてきたかを垣間見ることができる記事だと思います。続きは来月ご紹介いたします。


Vol.139 2023年7月号

2023年07月03日

恵の雨の季節になりました。
みなさんお元気でお過ごしでしょうか?        
今月も元気に経営サポート隊通信をお届けいたします。

 

【河合由紀子のちょっとイイ話】(東洋経済online 2017.9.28記事より)

今月は東洋経済オンラインの記事『稲盛和夫氏を奮起させた「松下幸之助の言葉」(著者:江口克彦 一般財団法人東アジア情勢研究会理事長、台北駐日経済文化代表処顧問)』から抜粋してお届けしたいと思います。

『今日、尊敬できる経営者は、昭和のころの経営者に比べて極端に少ない。どうして少なくなったのかは別の機会に譲るとして、その数少ない経営者のなかで私が最も高く評価する経営者の一人は、京セラの名誉会長・稲盛和夫氏。稲盛氏は、その驚異的な熱意で今日の京セラをつくり上げました。

それだけでなく、社会への還元、貢献も積極的に行っています。成功し有名になればいい。なにより「カネ儲け」ができればいいという、この頃の多くの経営者のなかにあって、エベレストの山のように高くそびえ立っています。稲盛氏に続く経営者が出てくることを期待してはいますが、私はあまり望めないだろうと思っています。

それはともかく、かつてこのようなエピソードを稲盛氏自身から直接聞いたことがあります。松下幸之助さんが、関西財界セミナーで「ダム式経営」の必要性の内容の講演をしました。もういまから50年近く以前の話です。ダムは河川をせき止め、蓄えることによって季節や天候などに影響されることなく、つねに一定量の水の供給を可能にします。

そのダムの如く、外部の諸情勢の大きな変化があっても適切にこれに対応し、安定的な発展を遂げていくことができる適正な余裕というものが、設備や資金、在庫、人材、技術、商品開発といった経営のあらゆる面に必要であるというのが、松下さんの言う「ダム式経営」というものです。

それを聞いて参加していた何百人という中小の経営者たちは、小声で不満をささやき合っていた。それが後方の席にいた稲盛氏にはよくわかったと言います。講演が終わって質疑応答の時間になったとき一人の参加者が、「ダム式経営ができれば確かに理想です。しかし、現実にはできない。どうしたらそれができるのか、その方法を教えていただきたい」と質問しました。

これに対して松下さんは苦笑を浮かべ一瞬の間をおいてから、ポツリと「ダムをつくろうと強く思わんといかんですなあ。願い念じることが大事ですわ」。会場全体に失笑が広がりますが、その松下さんの言葉に稲盛氏は、体に電流が走るような衝撃を受けて、なかば茫然として我を失ったそうです。

稲盛氏がなぜに茫然としたのか、我を失ったのか。それは経営というものへの思いを反省したからです。言われてみれば、いまの自分は経営を上手に進めたいとは思っているけれど、強く願い念ずる、それほどの思いはなかった。強烈な祈りを込めるほどの熱意はなかった。そうか、そうなのか。祈り念ずるほどの強烈な思い、強い熱意が出発点なのか。よし、今日からその思いで経営に取り組んでいこう。まあ、今日の京セラがあるのは松下さんのおかげです、といかにも稲盛氏らしく謙虚な話をしてくれました。

なにごとでもそうですが、念じ祈るほどの思いや魂を込めるほどの思いがなければ、そして、そのような出発点でなければ、事は成就しない。経営は成功しないということは、経営者たる者、しっかりと心に留めておくことが大事ではないかと思います。』

松下幸之助氏の講演で稲盛和夫氏は体に電流が走るような衝撃を受け、呆然として我を失うほどでした。しかし、同じ会場で同じ話を聞いた他の経営者は失笑しています。真摯に話を聞き、受け止め、自分の身に反映させることができた稲盛氏はやがで京セラを発展させ、名経営者の一人となりました。


Vol.138 2023年6月号

2023年06月01日

恵の雨の季節になりました。
みなさんお元気でお過ごしでしょうか?        
今月も元気に経営サポート隊通信をお届けいたします。

 

【河合由紀子のちょっとイイ話】(「戦略経営者」株式会社TKC 2020年4月号)

今月は「戦国武将に学ぶ事業承継を成功させる五つのポイント」という記事を抜粋してご紹介したいと思います。

『経営承継について戦国武将の事例から学ぶことは多い。まずはビジョンを明確にする、あるいはストーリーを描くことの重要性である。自分はいつ辞めるのか、誰に継がせるのか、円滑な事業承継を行うために具体的に必要なことはなにか、この心構えは、事業承継計画の作成につながる。

このビジョンの明確さにかけて徳川家康の右に出るものはいないだろう。二代目将軍秀忠はもちろんのこと、次に次の代の後継者まで決めていたからである。三代将軍家光には弟忠長がおり、幼少期は父親の秀忠と母親のお江とともに忠長のほうが後継者にふさわしいと考えていた。兄の家光ではなく弟の忠長を後継者に推す動きが強まっていることを察知した乳母の春日局が、お伊勢回りに行くとうそをついて家康に会いに行き直訴したのは有名な話である。これを聞いた家康は素早く手を打った。駿河から江戸へ飛び三代将軍は家光であることを宣言。そしてまだ自分が現役のときから家光の後継者教育を行ったのである。家康は、兄弟間の上下関係をはっきりさせたことで、長幼の序が社会システムの基本であることを広く示した。この行動がなければ、これだけ長く江戸幕府は続いていなかったかもしれない。逆に失敗したのは豊臣秀吉である。なかなか実子にめぐまれなかった秀吉は、姉の子供で養子にとった秀次を関白に承継することを決める。ところが承継からわずか3年後に実子秀頼が誕生したのだ。ここで秀吉は掌を返し、秀次を高野山に追放して切腹させる。いとも簡単に計画を覆し、行き当たりばったりの行動を見せる秀吉に周囲は不安と不信を募らせたに違いない。このころから秀吉の治世に暗雲が立ち込めるようになる。この2人の対照的な事例から、事業承継に関するビジョンを明確にする重要性をはっきり認識することができる。

二つ目は、経営に対する心や思い、企業理念をしっかりと引き継ぐこと。全国には100年企業が約3万社あるといわれているが、その共通点は企業理念が代々受け継がれていることだ。この話題でよく題材として取り上げられるのが上杉謙信だ。謙信は何より人間としての正しい生き方、すなわち「義」を重んじた。自らの欲望に由来する戦は一切しなかったと伝えられている。有名な川中島の戦いも、武田信玄に領地を追われた村上義清を助けるためだった。この理念を受け継いだ上杉景勝以降、上杉家は、米沢藩の財政改革を実施した上杉鷹山、沖縄県令を務め、私財を投げうって沖縄に尽くした上杉重憲など不世出のリーダーが生まれる名門として幕府から一目置かれる家柄であり続けた。

三つ目は「争族」を防ぎ、お家騒動を起こさないようにすることである。このテーマでよく引き合いに出されるのは、隆元、元春、隆景の三兄弟が結束するよう言い含めた「毛利元就の三本の矢」のエピソードである。しかしここで注意したいのは、後継者はあくまで隆元ひとりであること。元就は元春と隆景の2人に力を合わせて隆元を支えていくように言った。家康も生前、尾張、紀州、水戸の御三家に対し「将軍家には絶対に逆らうな」と厳命していた。組織をうまくまわしていく規律としたのだろう。

右腕となるナンバー2の存在も極めて重要である。ただでさえ経営者は孤独だ。後継者の大きな支えになってくれる側近がいるかいないかで承継後の経営はだいぶ違ってくるだろう。戦国時代でいえば、名参謀と呼ばれ上杉景勝を支えた直江兼続の名前がすぐに浮かぶ。関ケ原で西軍についた上杉家はお家取り潰しの危機に瀕したが、兼続はすぐに家康のところに出向き謝罪。知恵者の本多正信の次男と娘を結婚させ徳川家と友好的な関係を結んだ。

最後のポイントは、経営革新や新しいビジネスモデル構築の必要性である。「時代の変化に応じてイノベーションを生み出さなければ企業の存続はない、それが後継者としての役割だ」と後継者が自覚を持つべきだ。毛利元就の後継者、輝元は安芸から長州に移り、石高が120万石から36万石に減少したが、次々と新事業を興し財政再建に成功した。家臣を農民や商人にして新田開発を奨励したり、紙の原料となるコウゾの栽培をはじめ上方に販売したりするなどしたのである。』

いかがでしたでしょうか?歴史から学ぶことは本当に多いと思います。いつの世も、企業に限らず組織が長続きするためには、いかに承継するかがポイントとなりますね。事業承継に関してご相談がありましたらお声がけください。


Vol.137 2023年5月号

2023年05月01日

爽やかな風の心地よい季節になりました。
みなさんお元気でお過ごしでしょうか?
今月も元気に経営サポート隊通信をお届けいたします。

 

【河合由紀子のちょっとイイ話】(日経ビジネスオンライン2023.3.2)

今月も3月号より掲載してきた「エアウィーヴ」の開発で知られる高岡本州氏のお話のつづきです。

『2007年6月ベッドや布団の上に敷くマットレスパッド「エアウィーヴ」を発売しました。薄く軽いパッドから始めた理由は売り場で扱ってもらいやすいため。物流が容易であることも理由の一つでした。(中略)売上高が数十億円規模になれば事業が軌道に乗ると思いましたが、簡単ではなかった。家具店は既存業者が売り場を囲っており、パッドですら売り場を確保できないのです。1週間で1枚売れれば御の字という状況が続きました。「体験すれば良さが分かる」。そう考えた私は、約200人の友人・知人に無料で商品を配りました。狙いは当たり、一晩使っただけで「すごくいい」と褒めてくれる人たちが出てきた。共通点は「スポーツマン」。体調に敏感な人々の評判が良かった。彼らの評価は私に自信を与えてくれました。覚えているのは、あるご夫婦の言葉です。スポーツマンのご主人は使った翌日に「これはいい」と連絡をくれた。奥さんは当初「よく分からない」との反応でした。しかし1週間後、奥さんも「週末に長時間使ったときに寝疲れしていなかった」と言ってくれたのです。「どんな人も1週間使えば良さが分かる」と思いました。半面、この結果は売り場で試すだけでは良さを伝えるのが難しいことを意味します。私は販売戦略を練り直しました。当時の寝具はプッシュ型の販売が主体。見込み客には値引きでプッシュした。(中略)

父から引き継いだ日本高圧電気では品質を強みにしていた。だからこそ、従来の寝具の販売手法と一線を引きたかった。そのヒントをとある米国出張で得ました。米ハーバードビジネススクールでブランディングなどを教えるジョン・デイトン教授と話す機会を得たのです。デイトン教授は「寝具を買う場合、店頭で実際に触れて次に価格が想定内かを見る。ブランドは最後に見るが、知らないブランドは買わない」と教えてくれました。最後にはブランドがモノをいう以上、「ブランド認知を高め、顧客から指名してもらうプル型のマーケティングでいこう」と決心しました。ディスカウントしない売り場を探し、たどり着いたのが百貨店と当時の東急ハンズです。名古屋、東京でアプローチし、足しげく通いました。一方、ブランドづくりの入り口はアスリート。身体の変化に敏感なトップアスリートに選ばれる寝具を目指しました。ターゲットは五輪選手。縁をたどって(中略)競泳の古橋廣之進さんと出会い、国立スポーツ科学センターを紹介してもらいました。宿泊施設で実際に使ってもらい、選手たちからは好評を得ました。選手たちから「五輪に持っていきたい」という声が出たことで、丸めて持ち運べるバッグ入りタイプを開発。08年開催の北京五輪では約70人の選手がエアウィーヴを持ち込みました。その一人が競泳の北島康介選手。彼は金メダルを獲得しました。「エアウィーヴも話題になる」と確信し、生産強化を指示しました。でも、思惑通りいかなかった。話題になっても、実際に売れるのは週に1〜2枚程度でした。低空飛行が続く中、日本高圧電気から事業資金を借りて食いつなぎました。年間3000万円だった資金援助は、やがて1億円に増加。09年5月の役員会では、とうとう父が融資を反対しました。(中略)私は腹を決め、日本高圧電気から資金の融通を停止してもらい、自分で金融機関から資金調達しました。そして会社を個人で買い取り、自らのリスクで勝負に出たのです。個人の借り入れは一時、10億円近くになったと思います。

10年のバンクーバー五輪が近づく頃、「五輪選手のサポートにマーケティング的な意味があるのか」と悩みました。それでも北京五輪で少なからず選手を支えた経験を思い出し、再チャレンジに臨んだのです。(中略)一般にも広く知ってもらうため、10年は人気宿泊施設である石川県七尾市の加賀屋に、14年には日本航空のファーストクラスに導入してもらいました。

認知度が少しずつ向上し、思い描いた売り場が確保でき始めたのがこの頃です。東急ハンズと高島屋で導入してもらい、他の百貨店も続きました。一気に大きな売り場が獲得できたわけではありません。1棚を2棚に、そこから少しずつスペースを拡大してもらう繰り返しでした。続けるうちに次第に注文が増え工場が忙しくなりました。11年には追い風が吹きます。フィギュアスケートの浅田真央選手が大会にエアウィーヴを持参し、忘れないよう手の甲に「マットレス」と書いた映像がメディアで流れたのです。浅田選手という光によってエアウィーヴのブランド認知度が急激に向上した。その後、浅田選手にはブランドアンバサダーに就任してもらいました。』

自らリスクを引き受け、販売戦略の仮説を立てて粘り強く突き進んでいく高岡氏。このシリーズにはまだ続きがありますので、ご興味のある方は『日経ビジネスオンライン 不屈の路程』で検索してみてください。


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