Vol.136 2023年4月号
2023年04月01日

4月は新年度のはじまりですね。
暖かい春の陽気とともに、
新しいことに挑戦するのによい季節ですね。
今月も元気に経営サポート隊通信をお届けいたします。
【河合由紀子のちょっとイイ話】(日経ビジネスオンライン2023.2.24)
今月も先月に続き、「エアウィーヴ」の開発で知られる高岡本州氏のお話をお届けします。
『思いもよらない話が舞い込んだのは、2004年のことでした。それは中部化学機械製作所を経営する伯父から父への依頼でした。この会社は釣り糸の押出成型機械を製造していましたが、アジアのメーカーに押され赤字が続いていた。伯父は日本高圧電気の株を持っており、父に「その株を買ってほしい。そして、借金をそれで埋め合わせてほしい」と言いました。70歳を超えた父は私に「経営者になった以上、株があまり外に出ては困るはず。何とかしろ」と言いました。父は株を手に入れたら伯父の会社を清算するくらいの意識だったようですが、伯父は「工場を更地にするのは嫌だ。経営を引き継いでほしい」という。1年ほどどうすべきか悩み、中部化学機械製作所を引き継ぐことを条件に日本高圧電気の株を買い取ることで伯父と合意しました。ただ、外部の株主もいますから会社から資金を出せません。私個人の資金で伯父と相対で買うことになり、買収・累積債務などに3億円ほどがかかりました。このため、私と父が日本高圧電気の予定退職金をそれぞれ担保に個人でお金を借りました。
伯父の事業を引き継いだのはファミリーの会社を守るためですが、個人で借金をしたため立て直すしかなかった。これが今の高反発マットレス「エアウィーヴ」の商品化につながります。日本高圧電気の社長と兼務だったため、週に1~2日を引き受けた会社の再建に充てました。再建に当たり15人ほどいた社員のうち5人が退職しました。他の5人が日本高圧電気に移り、5人が会社に残りました。電力自由化もあり、私は新しい事業が必要だと考えていました。釣り糸の製造技術を応用して糸状のポリエチレン樹脂を絡めたクッション材を事業化。当初は消波材、衝撃吸収材などにどうかと考え、高速道路の緩衝材や椅子の座面などの素材として売り込みました。しかし、ほとんど売れない。売れても単なる素材として買いたたかれました。赤字も累積して先行きの見えない状況が続きました。この時、自身の体の不調から新商品の着想を得ました。私は大学院を終える頃、タクシーの追突事故でむち打ちになり、肩や首の凝りに悩んでいました。以来、飛行機などで長時間移動する際には、低反発のウレタン素材でできた携帯用U字形枕を使っていました。ただ低反発素材は寝返りしにくく、寝具には向かないと考えていたのです。そこでポリエチレン樹脂のクッション材を寝具に使うアイデアをひらめきました。事故が事業のきっかけになるわけですから不思議なことです。しかも大学で物理を学び、力学的な反発係数について理解していた。当社のクッション材はウレタン素材などよりも反発力があるため、寝返りが打ちやすいと思いついたのです。「大きな寝具を売る方が事業にしやすい」という考えもありました。
とはいえ当初は寝具メーカーになるつもりはなく、BtoBのビジネスを考えていました。素材として売り込もうとベッド会社を回りましたが、相手はバネ関係のエンジニアばかりでクッション材に関心がありません。経営学で学んだ「NIH症候群(自前主義、既存の製品やアイデアに対し、『外部の組織』発を理由に軽視すること)」でした。こうなったら寝具自体をつくろうと思い試作に取り掛かったのですが、当時はポリエチレン製の寝具の一般的な基準がありません。硬さの測り方や管理の方法を一から模索しなければなりませんでした。原料のポリエチレン樹脂を溶かして水に流すと、隣り合う樹脂が絡み合い、狙い通りの硬さ・厚みに仕上げたり、全体に硬さのムラをなくしたりするのに苦労しました。日本高圧電気の化学系のエンジニアにも開発に携わってもらいました。エアウィーヴが成長できたのは父の耕した物づくりの土壌が企業に根付いていた点が大きく、私もエンジニア出身なので色々と議論しました。試行錯誤の末、07年春に自信作のエアウィーヴが完成しました。しかし、これがまったく売れなかった。問題はこの業界の在り方に潜んでいました。』 縁や偶然の重なりが、エアウィーヴ事業につながっていきます。良いものができても売れなければ事業として成功とは言えません。この後どのように売上を伸ばしていったのか。続きは次回ご紹介いたします。