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経営サポート隊通信
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Vol.166 2025年10月号

2025年10月01日

秋も深まる11月になりました。
皆さまいかがお過ごしでしょうか?
今月も経営サポート隊通信を元気にお届けいたします!

 

【河合由紀子のちょっとイイ話】
             
今月も先月に引き続き、プレジデントオンラインの記事からチョコレート・ブランド「メゾンカカオ」の創業社長、石原紳伍氏のインタビューをお届けします。

メゾンカカオは、ANA国際線ファーストクラスや即位の礼の各国首脳への機内手土産として採用されるなど、高い評価を受けています。石原氏は、学生時代はラグビー選手として活躍、大学卒業後に入社したリクルートでは営業成績の新記録を達成したという異色の経歴の持ち主です。(プレジデントオンライン 山田清機2025年5月23日)

“自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ”というリクルート創業者である江副浩正氏の言葉に従って、リクルートを退職し新たな道を歩み始めた石原氏はコロンビアでチョコレートに出会います。

『「僕がコロンビアで出会ったのは、まるで南国のフルーツのようなカカオの実の味わいと、日本における日本茶と和菓子のように、日常にチョコレートが溶け込んだ人々の生活でした。コロンビアの人たちには毎朝チョコレートドリンクを飲む習慣があって、生産者と生活者がカカオでつながっている。その風景が、とても素敵だったのです。一方で、日本のチョコレートといえば、当時はバレンタインデーのギフトという刷り込みとコンビニで売っている“砂糖菓子”のイメージが中心。僕はコロンビアで『カカオの幸せ』を目の当たりにして、日本でも日常的にチョコレートを楽しむ文化づくりができないかと考えたのです」

コロンビアでは、仕事と生活とチョコレートが日常の中で自然につながり合っていた。それは、石原さんの大阪の実家での原体験に通じる風景でもあり、職と住と食の融合こそ、石原さんが理想とする文化のありようなのだろう。石原さんは、単なる消費財としてチョコレートを作り、売るのではなく、その国の文化と呼べるレベルにまで、日常生活にチョコレートを浸透させたいという遠大な理想を描くようになったわけだ。あまりにも遠大過ぎる気もするが……。

「たとえば、ジャパニーズ・ウイスキーはいまでこそ世界的な評価を得ていますが、鳥井信治郎さんがスコッチに学びながら国産ウイスキーをつくり始めた当初は、おそらく今とは品質も大きく違ったでしょうし、事業としても厳しい時代が長かったと思います。しかし、それから90年以上たって(※「白札」の愛称を持つ「サントリーウイスキー」は1929年発売)ウイスキー文化はすっかり日本に定着しましたよね」だから、チョコレートも、日常にしっかり根を張った文化として日本に定着していく可能性があるということだろうか。

「寿司に代表される日本の食は明らかに世界の食文化をリードしていますが、残念ながら日本は、『場所』に根差した文化のブランディングが苦手だと感じています。たとえば、シャンパンはスパークリングワインの一種ですが、フランス政府はシャンパーニュ地方のスパークリングワインしかシャンパンと呼ばせません。ヨーロッパはこうした場所ごとのブランディングがとても上手い。僕は日本の食のブランディングを、チョコレートを通じて広げていきたいと思っているのです」

無暗にチョコレート文化を広めようというのではなく、特定の場所に根差した文化として広めていこうという戦略だろうか。となると、メゾンカカオの本拠地である鎌倉が重要な意味を持ってくることになる。石原さんにとって鎌倉とは、いったいどのような「場所」だろうか。メゾンカカオは現在8店舗を展開している。先述の通り、本社は鎌倉にあり本店も鎌倉の小町通りにある。石原さんが大阪出身であることを考えれば、関西、たとえば京都や奈良での店舗展開もあり得たはずだが……。

「文化を創造する以上、京都、奈良、鎌倉の三大文化都市のいずれかで勝負をしたいという思いがありました。ではなぜ鎌倉を選んだのかといえば、海に面していることがとても大きいですね」』

石原氏がなぜ鎌倉を創業の地に選んだのか、今後何を目指していくのか、来月ご紹介したいと思います。


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