Vol.40 2015年4月号
2015年04月06日
こんにちは!
春らしい陽気になってきましたが
いかがお過ごしでしょうか?
それでは、今月も元気に
経営サポート隊通信をお届けいたします!!
【河合由紀子のちょっとイイ話】
(JB PRESS「人生を分ける思考方法、人間万事塞翁が馬」2015.3.27藤田耕司)
人生においては様々な出来事が起きる。そして、そのたびに様々な感情が生じる。良い出来事が起きれば、嬉しい、楽しい、といったポジティブな感情が生じ、悪い出来事が起きれば、怒り、悲しみといったネガティブな感情が生じる。感情は起きる出来事によって左右されるものであり、自らが意図して生じさせているものではない。そう思いがちである。
しかし、「良い」「悪い」という判断はあくまで自らの意味づけによるものであり、生じる出来事自体が「良い」「悪い」という意味を持っているわけではない。生じた出来事に対して、自らが「良いこと」という意味づけをすればポジティブな感情が生じ、「悪いこと」という意味づけをすればネガティブな感情が生じる。つまり、出来事の発生と感情の発生の間には「意味づけ」というプロセスが存在し、その「意味づけ」の内容によって生じる感情の内容が決まるのである。しかし、この意味づけは無意識のうちに行われるため、「意味づけ」というプロセスの存在には気づきにくい。
中国の書物「淮南子(えなんじ)」に「人間万事塞翁が馬」という話がある。中国の北の国境にある城塞の近くに占い上手な老人が住んでいた。ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていった。近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめたが、老人は残念がる様子もなく言った。「このことが不幸であるとは限らない」
しばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良馬をたくさん連れて帰ってきた。そこで近所の人たちがお祝いを言うと、老人は首を振って言った。「このことが災いにならないとも限らない」
しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまった。近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言った。「このことが不幸であるとは限らない」
1年が経った頃、胡の異民族たちが城塞を襲撃してきた。城塞近くの若者は戦いに行き、胡人から城塞を守ることができたものの、多くの若者は戦いで命を落とした。しかし、老人の息子は足を負傷していたため、戦いに行かずに済み、無事だった。
出来事が持つ意味は、人間の価値観や考え方、先入観、常識によってもたらされるものであり、その時々によって持つ意味が変わってくるものであるため、出来事自体が唯一絶対の意味を持つわけではない。物事には必ず陰と陽、表と裏の側面がある。起きる出来事を両方の側面から捉えるようにすると、起きる出来事自体に意味はないことが分かるようになる。自分の意味づけや感情がどうであれ、出来事は淡々と生じ、淡々と過ぎ去っていく。諸行無常というが、出来事に対する意味づけも、その時々で移り変わっていくものであり、永久不変なものではない。辛かった出来事も数年経てば酒の肴になり、笑い話となる。出来事自体に意味はなく、自らの意味づけによって自らの感情を決めている。自分を喜ばすのも、自分を苦しめるのも、それは自分なのである。その意味では、「意味づけ上手」は人生の達人とも言えるだろう。