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経営サポート隊通信
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Vol.175 2026年7月号

2026年07月01日

今年も後半に入りました。
皆さまいかがお過ごしでしょうか?
今月も元気に経営サポート隊通信をお届けいたします!!

 

【河合由紀子のちょっとイイ話】

今月は先月に引き続き「会計の世界史―イタリア、イギリス、アメリカ500年の物語

田中靖博 日本経済新聞出版社」から、『GMへも導入されたデュポン公式(344-346頁)』をご紹介したいと思います。

デュポンでは業績評価の方法を、「投資の大きさに対してどれだけ利益があるのか」を示すROIに定めました。それをどのように活用したのか、社外秘の経営指標がどのように外部に知られるようになったのか、ご一読ください。

『この公式はデュポンにおいて1910年代から用いられ「1919年」にはそれをグラフ化して計画策定に役立てるチャートシステムも登場しています。デュポンはこの公式やチャートを内緒で使いはじめ、その内容を社外には秘密にしていました。デュポンとて、わざわざライバルに「経営に役立つツール」を教えたいわけがありません。このことからわかるように、管理会計は「内部利用目的」の会計であり、「外部報告目的」の財務会計とはちがって、その内容が「秘伝」として外に出されないことが多いのです。当時のライバルたちは売上や利益が前年より増えただけで喜んでいました。ピエール社長はそれを見ながら「しめしめ」とほくそ笑んでいたのです。

デュポンは事業別ROIを経営判断の基本に据えました。目先の利益が見込めてもROIが低ければ投資はしない。また黒字であってもROIの低い事業からは撤退することがありました。短期的に儲けるだけなら「利益」をもとに判断できるが、設備投資が大きく、しかも長期的な成長を考えるならROIのほうがふさわしいと考えたのです。組織的にいえば、事業別ROIが計算できるようになったことで各事業を担当者に「任せる」ことができるようになりました。

このように文献管理を可能にする秘策「デュポン公式」は当のデュポンからではなく、「意外な別ルート」から世間に漏れました。情報が漏れたのは自動車メーカーのGMからです。それはピエールが経営危機に陥ったGMを救うべく社長になったことがキッカケでした。GMは先行するフォードを追い抜くべく拡張に次ぐ拡張戦略をとりましたが、やがて経営危機を迎えます。第一次世界大戦の好景気によっていったん持ち直すも、経営危機が再燃、そこでデュラント社長が退陣し、代わりに社長の座についたのがピエールです。ピエールはGMをデュポンと同様に「大型・小型乗用車・トラック」などいくつかのセグメントに分け、そこにデュポン公式を適用しました。GMはこれによって各事業部の独立性を維持しつつ、数値の管理を行うことができるようになりました。

T型フォードの単品勝負に固執したフォードに対し、GMは「あらゆる自動車」をつくっていました。合併によって設立されたGMは、事業部制を採用することで管理問題の解決をめざし、一定の成果を上げました。多角化された事業部にデュポン公式が適用されたことで「それぞれの事業部」は力を取り戻していったようです。T型フォードに固執して売り上げを減らすフォードに対し、事業部制を採用したGMは次々と新製品を発表し事業を向上させていきました。』

いかがでしたか。今では管理会計の教科書に載っているROIですが、一企業は生み出し経営管理指標として使っていたものだったのですから、今でも企業は独自の経営管理指標をつかって経営しているのだと思います。外部に業績を知らせる会計はルールに基づく必要がありますが、社内では自由に管理指標を作って使って活かすことができます。来月は、デュポンでは具体的にどのように各数値を計算していたのか、ルールをどのように作っていたのかについてご紹介したいと思います。


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