Vol.164 2025年8月号
2025年08月01日
8月になりました。皆さまいかがお過ごしでしょうか?
今月も元気に経営サポート隊通信をお届けいたします。
【河合由紀子のちょっとイイ話】
今月もプレジデントオンラインの記事から、鎌倉に本社を構えるチョコレート・ブランド「メゾンカカオ」の創業社長、石原紳伍氏のインタビューをお届けします。
メゾンカカオは、ANA国際線ファーストクラスや即位の礼の各国首脳への機内手土産として採用されるなど、高い評価を受けています。石原紳伍氏は、学生時代はラグビー選手として活躍、大学卒業後に入社したリクルートでは営業成績の新記録を達成したという異色の経歴の持ち主です。(プレジデントオンライン 山田清機2025年5月23日)
『大阪に帰省して、これまでのラグビー生活を支えてくれた両親に学生コーチの件を報告すると、母親は石原さんの目の前で号泣した。父親は「チームが日本一になるために、あらゆることをやれ」と言ってくれた。その父の言葉で気持ちの切り替えがついてからは、誰よりも早くグラウンドに出て、誰よりも遅くグラウンドを去る日々を送るようになった。「ラグビーは自己犠牲を学ぶスポーツです。初代の学生コーチなので何をやっていいかわかりませんでしたが、日本一になるために自分はどんな役割を果たすべきかを考え抜きました」
早慶明に進学していた高校時代の仲間に頼み込んで練習を見学させてもらい、帝京に足りないメニューを洗い出した。そして、運動部にありがちな上下関係の弊害をなくすために、さまざまな改革を行っていった。背景にはもちろん、高校時代の不条理な師弟関係への疑問があった。「帝京の寮にも、上級生が食事をした後の片づけを下級生がやるといった不文律がありました。でも、チームが強くなるには下位チームが強くなって全体の底上げをしなくてはなりません。下位チームは、1年生と試合に出られなくなった4年生で構成されているので、1年生を雑用から解放して体作りができるようにすることと、試合に出られない4年生の気持ちが腐らないようにすることが重要でした。監督の言うことは聞かなくても、選手の道を諦め、学生コーチになった僕が言うことには、みんなが耳を傾けてくれました」当時の帝京はまだ「夜明け前だった」が、石原さんの1学年下には堀江翔太がいて、全国大学選手権で準々優勝、堀江の下の学年が準優勝、その翌年、石原さんが4年生だったときの1年生たちが悲願の初優勝を飾り、そこから破竹の9連覇を成し遂げる。石原さんがその礎をつくったと言っても過言ではないだろう。
ラグビーを通して学んだことは、石原さんの組織作りの基本になっているという。
「華やかなスタープレーヤーの時代も、怪我で試合に出られない時代も経験したことによって、常に、チームのために何ができるかを考えるようになれました。あくまでもチーム全員が主役であることが大事なので、ブランドを立ち上げる際にも、当時は定番でもあった自分の名前をブランド名につけるという考えが僕にはなく、ca ca oと素材への思いをシンプルにつけました」
大学卒業後、石原さんはある人物の紹介でリクルートに入社する。紹介してくれた理由は「君、目がいいから」であった。
石原さんはリクルートでも、前人未踏の記録を打ち立てることになる。石原さんが入社するまで、リクルートの新規顧客開拓数の社内ギネスは数百件/年だった。ところが石原さんは、入社してわずか10カ月あまりで1700件という驚異的な記録を樹立してしまったのである。まさに超人的な営業成績と言っていい。なぜ、こんなことが可能だったのだろうか。
「広告営業を担当していたのですが、ラグビーの経験があったので努力をすることはまったく苦ではありませんでした。でも、勝ち負けを決めるスポーツと違って、仕事は勝ちと勝ちじゃないと成り立ちません。ですから、広告を使って経営課題を解決してあげましょうというアプローチではなく、常に、どうすればお客様と一緒にワクワクしながら同じ夢を見られるかを考えながら営業をしたのです」20代後半にして、年収は数千万円を突破。石原さんの活躍は当然、リクルート幹部の知るところとなり、社長直属の“寺子屋”で、徹底した幹部教育を受けることになった。』
この社長直属の寺子屋で石原氏の人生は大きく変わることになります。来月も引き続きメゾンカカオ創業の経緯をお届けいたします。








