経営サポート隊通信 | 大阪の経営支援ならプラス・パートナー
今月の金言
今月の金言

2025年9月の金言

2025年09月01日


Vol.165 2025年9月号

2025年09月01日

今年も残り三分の一になりました。
皆さまお元気でお過ごしでしょうか?
今月も経営サポート隊通信をお送りいたします。

 

【河合由紀子のちょっとイイ話】

今月も先月に引き続き、プレジデントオンラインの記事からチョコレート・ブランド「メゾンカカオ」の創業社長、石原紳伍氏のインタビューをお届けします。

メゾンカカオは、ANA国際線ファーストクラスや即位の礼の各国首脳への機内手土産として採用されるなど、高い評価を受けています。石原紳伍氏は、学生時代はラグビー選手として活躍、大学卒業後に入社したリクルートでは営業成績の新記録を達成したという異色の経歴の持ち主です。(プレジデントオンライン 山田清機2025年5月23日)

リクルートに入社した石原氏は優秀な営業成績により幹部に注目され、社長直属の“寺子屋”で、徹底した幹部教育を受けることになりました。

『「いわゆる虎の穴(厳しい訓練を受ける場)のような組織ですが、課題として出された本を読み込んでレポートを書いたり、他のメンバーとディスカッションをしたりしながら、政治、経済、歴史、文学、宗教、哲学と、あらゆるジャンルのリベラルアーツを学ぶのです。時には社長と直接ディベートをすることもありました」

ラグビー漬けの青春時代を送ってきた石原さんは、猛烈な勢いでさまざまな分野の教養を吸収していった。だが、幹部教育を施したリクルートの幹部には、誤算があったのだ。いや、リクルート側の誤算というより、石原さんがあまりにもストレートに教養と向き合い過ぎたということかもしれない。「リクルートは素晴らしい会社だと思いますが、創業者である江副浩正さんの『自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ』という哲学を実践すると、リクルートという会社の枠をはみ出してしまう可能性があるのです。たとえば、当時、営業マンだった自分が抱えていたリスクに比べると、担当していた飲食業や旅館・ホテル業が抱えていたリスクはとても大きかったのですが、寺子屋でさまざまな本を読んで勉強すればするほど、これでいいんだろうか、自分の生き方は正しいのだろうかという疑問が強くなってしまったのです」

石原はさんはまさにリクルートの持つ哲学どおり、「(幹部教育という)機会によって自らを変え」てしまったのだ。退社したい旨を幹部に伝えると、猛烈な引き留めに遭った。それはそうだろう、前人未踏の新規開拓ギネスを持つ人材だ、おいそれと手放すわけにはいかない。1年限りという約束で別会社への移籍を許されて社長秘書の仕事を経験したあと、約束通りいったんはリクルートに戻ったが、自分が「世のため人のためになる仕事をしているのか?」という疑問はむしろ大きく膨らんでしまった。そして、半ばプライベートの旅で訪れたコロンビアで目にした風景が、退社の意志を後押しすることになった。

「コロンビアに行って、自分はビジネスをやりたいというよりも、文化をつくりたいんだということがはっきりとわかったのです。『経済は文化の僕である』(福武總一郎)という言葉がありますが、国際社会で日本という国が愛され生き残っていくためには、文化国家であることがとても大切な要素です。日本が世界からながく愛してもらえる国であることこそ、本当のサステナビリティーではないかと考えるようになったのです」リクルートの幹部たちも、最終的に石原さんの考え方を理解してくれた。28歳、破格の年収を投げ打って、石原さんはリクルートを退職する。

果たして、石原さんがコロンビアで見た風景とはいったいどのようなものか。そして石原さんの言う文化とは何か。そこに、ビジネスマンが自らの仕事を振り返り、生き方、働き方を変えるヒントがあるだろうか。』

“自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ”という言葉に従って、石原氏は自分の人生を切り開いていきます。この後のお話は来月号で紹介いたします。


2025年8月の金言

2025年08月01日


Vol.164 2025年8月号

2025年08月01日

8月になりました。皆さまいかがお過ごしでしょうか?
今月も元気に経営サポート隊通信をお届けいたします。

 

【河合由紀子のちょっとイイ話】

今月もプレジデントオンラインの記事から、鎌倉に本社を構えるチョコレート・ブランド「メゾンカカオ」の創業社長、石原紳伍氏のインタビューをお届けします。

メゾンカカオは、ANA国際線ファーストクラスや即位の礼の各国首脳への機内手土産として採用されるなど、高い評価を受けています。石原紳伍氏は、学生時代はラグビー選手として活躍、大学卒業後に入社したリクルートでは営業成績の新記録を達成したという異色の経歴の持ち主です。(プレジデントオンライン 山田清機2025年5月23日)

『大阪に帰省して、これまでのラグビー生活を支えてくれた両親に学生コーチの件を報告すると、母親は石原さんの目の前で号泣した。父親は「チームが日本一になるために、あらゆることをやれ」と言ってくれた。その父の言葉で気持ちの切り替えがついてからは、誰よりも早くグラウンドに出て、誰よりも遅くグラウンドを去る日々を送るようになった。「ラグビーは自己犠牲を学ぶスポーツです。初代の学生コーチなので何をやっていいかわかりませんでしたが、日本一になるために自分はどんな役割を果たすべきかを考え抜きました」

早慶明に進学していた高校時代の仲間に頼み込んで練習を見学させてもらい、帝京に足りないメニューを洗い出した。そして、運動部にありがちな上下関係の弊害をなくすために、さまざまな改革を行っていった。背景にはもちろん、高校時代の不条理な師弟関係への疑問があった。「帝京の寮にも、上級生が食事をした後の片づけを下級生がやるといった不文律がありました。でも、チームが強くなるには下位チームが強くなって全体の底上げをしなくてはなりません。下位チームは、1年生と試合に出られなくなった4年生で構成されているので、1年生を雑用から解放して体作りができるようにすることと、試合に出られない4年生の気持ちが腐らないようにすることが重要でした。監督の言うことは聞かなくても、選手の道を諦め、学生コーチになった僕が言うことには、みんなが耳を傾けてくれました」当時の帝京はまだ「夜明け前だった」が、石原さんの1学年下には堀江翔太がいて、全国大学選手権で準々優勝、堀江の下の学年が準優勝、その翌年、石原さんが4年生だったときの1年生たちが悲願の初優勝を飾り、そこから破竹の9連覇を成し遂げる。石原さんがその礎をつくったと言っても過言ではないだろう。

ラグビーを通して学んだことは、石原さんの組織作りの基本になっているという。

「華やかなスタープレーヤーの時代も、怪我で試合に出られない時代も経験したことによって、常に、チームのために何ができるかを考えるようになれました。あくまでもチーム全員が主役であることが大事なので、ブランドを立ち上げる際にも、当時は定番でもあった自分の名前をブランド名につけるという考えが僕にはなく、ca ca oと素材への思いをシンプルにつけました」

大学卒業後、石原さんはある人物の紹介でリクルートに入社する。紹介してくれた理由は「君、目がいいから」であった。

石原さんはリクルートでも、前人未踏の記録を打ち立てることになる。石原さんが入社するまで、リクルートの新規顧客開拓数の社内ギネスは数百件/年だった。ところが石原さんは、入社してわずか10カ月あまりで1700件という驚異的な記録を樹立してしまったのである。まさに超人的な営業成績と言っていい。なぜ、こんなことが可能だったのだろうか。

「広告営業を担当していたのですが、ラグビーの経験があったので努力をすることはまったく苦ではありませんでした。でも、勝ち負けを決めるスポーツと違って、仕事は勝ちと勝ちじゃないと成り立ちません。ですから、広告を使って経営課題を解決してあげましょうというアプローチではなく、常に、どうすればお客様と一緒にワクワクしながら同じ夢を見られるかを考えながら営業をしたのです」20代後半にして、年収は数千万円を突破。石原さんの活躍は当然、リクルート幹部の知るところとなり、社長直属の“寺子屋”で、徹底した幹部教育を受けることになった。』

この社長直属の寺子屋で石原氏の人生は大きく変わることになります。来月も引き続きメゾンカカオ創業の経緯をお届けいたします。


2025年7月の金言

2025年07月01日


Vol.163 2025年7月号

2025年07月01日

皆さまお元気でお過ごしでしょうか?
今年も後半に入りました。時のたつのは本当に早いですね。
それでは、今月も元気に経営サポート隊通信をお届けいたします!

 

【河合由紀子のちょっとイイ話】

今月はプレジデントオンラインの記事から、鎌倉に本社を構えるチョコレート・ブランド「メゾンカカオ」の創業社長、石原紳伍氏のインタビューをお届けします。

メゾンカカオは、ANA国際線ファーストクラスや即位の礼の各国首脳への機内手土産として採用されるなど、高い評価を受けています。石原紳伍氏は、学生時代はラグビー選手として活躍、大学卒業後に入社したリクルートでは営業成績の新記録を達成したという異色の経歴の持ち主です。(プレジデントオンライン 山田清機2025年5月23日)

『2025年2月14日、神奈川県茅ヶ崎市のすべての市立小中学校と県立茅ヶ崎支援学校の生徒および教職員、名古屋市立の全小学校・全特別支援学校小学部の生徒に、花の形をした個包装のチョコレートがひとつずつ配られた。総数、12万9800個。配布したのは、茅ヶ崎市今宿に工場を構える「メゾンカカオ」というチョコレート・ブランドである。プレゼントされたチョコレートは植物性素材のオーツミルクを使ったヴィーガンチョコレートで、地球環境の保全などを訴えるメゾンカカオの社長の熱いメッセージが添えられていた。ANAのファーストクラスで提供されたり、G20大阪サミットや即位の礼の土産物に選ばれるなど、華々しい実績を誇るメゾンカカオの社長は、石原紳伍さん(40歳)という。高校時代にラグビーの花形選手として活躍した、異色の経歴の持ち主だ。

大阪生まれの石原さんの実家は、牛のホルモンを中心とした串焼き屋を経営していた。店は毎日深夜の3時、4時まで営業しており、弟とふたり、両親の仕事が終わるまで店の奥の休憩室で眠り、店が終わると両親と一緒に二階に上がって布団に横になるという生活を送った。文字通りの職住一致。両親が働く姿と客の笑い声が、幼少期の「色の濃い」思い出だという。「実家の近くには鉄工場が多くて、小学校まで通う通りはいつも油が焦げた匂いがしました。ものづくりが、とても身近にある環境でしたね」中学からラグビーに打ち込み、高校は推薦でラグビーの強豪校に入学。1年生でレギュラーの座を射止め、自他ともに認めるスター選手となった。だが、強豪校のラグビー部の日常は苛烈を極めた。練習の厳しさもさることながら、先輩後輩の上下関係がとても厳しかった。「僕がいた当時の話ですが、3年生にひとり、2年生にもひとり『師匠』がいて、練習が終わると、そのふたりがドロドロに汚したユニフォームから下着からスパイクから、すべてを洗濯しなければなりませんでした。師匠がシャワーを浴びている間はバスタオルを持ってシャワールームの中で待機するんです。師匠が飲むドリンクもそれぞれ5リットルずつ、毎日用意しなければなりませんでした……」これ以外にも不条理なしきたりがあり、1年生はグラウンドで練習が始まる頃にはヘトヘトになってしまう。それが遠因にもなって、石原さんは高校2年のときに大怪我をして試合に出られなくなってしまった。「大学ラグビーのスカウトマンは高2の実績を評価するのですが、僕には高2の実績がなかったので、当時の強豪校だった早慶明からは声がかかりませんでした」唯一、声をかけてくれたのが新興勢力の帝京大学だった。1年生時代の実績を評価して石原さんを「拾ってくれた」のだ。大学に入っても、高2の怪我の影響は長く尾を引いた。かつてはグラウンドの空間を手に取るように把握できたが、怪我に対する恐怖心によって、空間把握の感覚を完全に失っていた。それでもなんとかレギュラーになり、複数あるチームの中の上位チームでプレーできるまでに回復した。だが、満を持して最終学年のシーズンに臨もうというとき、思いがけない出来事が降りかかってきた。

「新4年生の中から学生コーチをひとり出すことになったから、全員が学生コーチになってもいいという覚悟ができたら、新4年生全員で監督のところへ来いというのです」学生コーチになるということは、試合には出ないことを意味する。つまり、現役のプレーヤーではなくなるということだ。必然的に、ラグビーで実業団に就職する道も断たれることになる。初代の学生コーチに就任することは名誉なことでもあったが、ラグビーに命をかけてきた以上、誰だって試合に出たい。進んでコーチになりたがる部員はいなかった。「新4年生が全員集まって、毎晩2時間近く話し合いました。お前はレギュラーになる見込みはないんだからお前がコーチをやれとか、ケンカごしの議論を続けましたが、期限が来てしまったので仕方なく全員で監督のところへ行ったんです。そうしたら、石原が初代の学生コーチになれと」来月は石原氏がリクルートを退社してメゾンカカオを創業するに至った経緯をお届けいたします。


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