Vol.129 2022年9月号
2022年09月01日
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
早いものでもう9月ですね。
今月も元気に経営サポート隊通信をお届けいたします!
【河合由紀子のちょっとイイ話】(致知2007年8月号より)
今月は、ホンダ創業者本田宗一郎氏(1906~1991)から薫陶を受け、1970~80年代にかけて「シビック」や「アコード」などのデザインを手掛けてきた岩倉信弥氏のインタビュー記事を抜粋したいと思います。
『本田さんは凄く大きな夢を語るのですが、それが決して机上の空論にはなっていない。夢は大きく、目標は高いんだけど、やっていることは現場主義なんです。やはりちゃんと物を見て、直に物に触れ、現実をよく知らなきゃいけないという「現場・現物・現実主義」。それを外すと「やりもせんに!」と拳骨やスパナが飛んでくる。こちらは大学を卒業して多少知恵がついている分、「いやそれは無理です」とか、屁理屈を一所懸命並べるんだけど、言おうとすると怒られる。しょうがない、やるしかない、で、やっているうちにできちゃった、ということが何度もあった。人間は窮地に追い込まれて、いうなれば2階に上げられて梯子を外され、さらに下から火をつけられる、という絶体絶命の危機に立たされ、初めて湧いてくるアイデアや閃きがあるものです。
結局、なぜ怒るのかと考えたら、本田さんは経営者として考えているんです。こうしなきゃお客さんは喜ばないという発想だから、考え方が哲学的になる。一方、こちらはデザイナーとしての視点だけで考えている。つまりシンキングレベルが違うわけです。
本田さんは、いつもしつこいくらいに「いいモノをつくるにはいいものを見ろ」とおっしゃっていました。ある時、こんな苦い経験をしたことがあるんです。「アコード」の4ドア版をつくっていた時のことでした。僕らのデザインチームは、4ドアを従来の3ドアの延長線上に考えて開発を進めていた。ところが本田さんは「4ドアを買うお客さんの層は、3ドアとは全然違うぞ」と言って憚らない。ボディは四角く、メッキを付け、大きくて高そうに見えるようにしろと言われるのです。僕は内心、そんな高級車はよその会社に任せればいいと考えていました。ほんの気持ち程度の対応しか見せない僕らに、本田さんは「君たちはお客さんの気持ちが全然分っていない。自分の立場でしかものを見ていない」と日ごとに怒りを募らせてきます。毎日、よく似たやり取りが続き、我慢の限界を感じた僕は「私にはこれ以上できません。そんな高級な生活はしていませんから」と口にしていました。本田さんはそれを聞くなり「バカヤロー!」と声を荒げ、「じゃあ聞くが、信長や秀吉の鎧兜や陣羽織は一体誰がつくったんだ?」と言われたんです。大名の鎧兜をつくったのは、地位も名もない一介の職人。等身大の商品しかつくれないのであれば、世の中に高級品など存在しなくなる。自分の「想い」を高くすればできる。心底その人の気持ちになればできるんだ、と教えてくださったんです。
我々一般の人間は、なるべく厳しい戦いは避けようとしますね。商品開発でも、水と油のように相いれない関係があれば、はなからミスマッチだと否定してしまう。けれども2代目の「プレリュード」をつくった時、お客様はきっと、スポーツカーのかっこよさとセダンの実用性を兼ね備えた車を期待しているように感じたんです。普通であれば、そんなことはできないと諦めてしまうんだけど、僕の提案を聞いた3代目の久米是志社長は、「よし、やってみよう」と言ってくださった。そして1982年に発売されたこの車は世界中で大ヒットを飛ばし、続く3代目「シビック」は自動車デザインで世界グランプリを取りました。その時僕は、「矛盾」という言葉について考えました。天下無双の盾と矛があって、いくら戦っても勝負がつかない。けれどももっと高い地点で、お互いが手を握り合う世界があるんじゃないか。勝負のない、戦わない世界があるんじゃないかと。けれども、そのためにはまず戦わないとダメなんです。それこそ、もう死ぬ思いをしてね。本田さんは誰もが不可能だと思えることを口にし、その不可能命題を乗り越えて世界一になった人です。そういう姿を次の社長も、その次の社長も見ているから、ホンダにその遺伝子が受け継がれていくんです。本田さんはもの凄く怖い人だったけど、実は怒ることによって自分の持つ高い想いへと、我々を引き上げようとされていたんじゃなかったかと最近思うのです。一緒にモノをつくって完成させる喜びを、皆で味わうためにね。』