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経営サポート隊通信
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Vol.116 2021年8月号

2021年08月02日

暑い日が続きますが
皆様お元気でお過ごしでしょうか。
今月も経営サポート隊通信を元気にお届けいたします!

【河合由紀子のちょっとイイ話】
今月も島精機製作所創業者の島正博氏のインタビュー記事をお届けします。5月から掲載してきましたが、今月が最終回。今回は、オイルショックによる不況を乗り越えた際のお話です。(日経ビジネスオンライン 2020.12.4 「島精機・島正博氏(3)同志の死を乗り越えて下した決断」より)

『死ぬことも覚悟しながら全自動手袋編み機の開発に成功してから10年がたった1974年、私はまたもや絶体絶命の事態に追い込まれていました。前年に起きたオイルショックに端を発した不況の波が、遅まきながら繊維業界にも押し寄せてきたのです。年明け早々から、編み機の注文キャンセルの嵐です。納品済みだった機械が次々と工場に戻ってきました。
編み機を開発してからの島精機製作所は順調でした。売り上げは前年度比1.5倍ぐらいのペースで伸び、足元では年商36億円にまで達していました。それが一気に暗転したのです。新たな発注はまったくと言っていいほどありません。機械整備や掃除ぐらいしか仕事がなくなり、夏ごろには運転資金にも窮するようになります。
そんな中で9月、創業からの付き合いだった後藤武治専務が、社内で自ら命を絶ちました。後藤専務は10年前、背水の陣で全自動手袋編み機の開発に臨んだときに「失敗したら2人で列車に飛び込もう」と一緒に生命保険にまで入った、かけがえのない同志です。あまりのことに声を失いました。国内営業や資金調達といった対外業務を取り仕切っていた後藤専務の訃報を、NHKは夕方から夜にかけての全国ニュースでセンセーショナルに報じました。
あまりに受け入れがたいことだったせいか、どこか現実感がないままでした。それが翌朝、会社の前に来たときに一気に現実に引き戻されました。債権者が列をなしていたのです。当時の島精機は、横編み機市場でのシェアが5割を超えていました。万が一のことがあった場合の影響を重く見た通商産業省の指示で、商工中金が3億円の緊急融資枠を設定してくれていたのですが、騒ぎは収まりません。「会社は大丈夫なんか。大丈夫やったらうちの手形を先に買い戻せ」と債権者たちは矢のように催促してきました。後藤専務の死を受け入れる時間すら与えてもらえませんでした。
それから迎えた最初の代金支払日である9月20日、債権者数十人に社員食堂へ集まってもらいました。業績の現状と今後の見通しを説明し、経営には問題がないと懸命に訴えました。ところが会場には罵声が飛び交い、債権者は手形の即時決済を迫ります。「島精機さんの支払いは三和銀行が全面的に保証します。信用できない方には今すぐ小切手を切りますから申し出てください」。その場を鎮めてくれたのは当時のメインバンク、三和銀行南和歌山支店長の奥田久男さんでした。債権者向け説明会に先立って話し合ったところ、奥田さんは「これからもニット需要はあり、自動化に優れた編み機は売れるはずだ」と支援を約束してくれていたのです。「つらいのはみんな一緒や。ともに頑張ろう」。どこからかそんな声が上がり、怒号が渦巻いていた社員食堂が静かになりました。説明会は小一時間で終わり、債権者のほとんどは手形をそのまま持ち帰ってくれました。
首の皮一枚つながったものの、不況で製品が売れず、大量の在庫を抱える状況に変わりはありません。一部の商社や借入先は人員整理を提案してきました。当時の従業員は300人ほど。同業他社が半分に減らしているから、島精機も半分に削減しろというのです。三日三晩、寝ないで考えに考え抜きました。下した決断は、最新鋭のNC装置の採用でした。「本気で言ってるのか?」。人員削減を提案されたのに新規投資を決めたことに商社や借入先はもちろん、社内も驚いていました。「これからは個別のニーズに合わせた多品種少量生産の時代。コンピューター制御の横編み機を作れば世界中で売れる。つまり、従業員を減らさなくても済む」。私はこう考えたのです。確かに初期投資はかかりますが、不況で工作機械メーカーが在庫を抱えている今ならNC装置を大幅に値切って買える。クモの巣の教えに倣って原点に立ち返り、発想を180度転換したわけです。XYZの3軸で機械を制御する装置を扱うには数学が必須です。受注がない分、勉強に充てる時間はいくらでもある。「三角関数を勉強せえ」。社員にハッパを掛けました。良いこともありました。70年代に入ってから労使関係が悪化していたのですが、人員削減を見送ったことで互いの信頼につながり、関係が改善したのです。
後から振り返れば、オイルショックは時代の転換点でした。大量生産・大量消費が当たり前だったのが、ニット業者の間でも消費者のニーズに応じた個性的な商品づくりを目指す機運が高まったのです。逆風の中で開発に着手した「コンピューター制御横編み機(SNC)」を発表したのは78年。欧州の先発メーカーの半額で性能は2倍ということもあり、大ヒットになりました。64年に続く74年の経営危機は、こうして何とか乗り越えることができました。この後も、私は10年おきぐらいに危機に見舞われます。竹に節があるように、危機はいつも次の成長につながる大きな節目になりました。考えてみてください。節がない竹なんて簡単に折れてしまうでしょう。
このころ、次の発明につながる大きな発見もありました。76年に鋳物の仕入れ先工場を見学したときのことです。この工場で手掛けていた印刷機械から出てきた写真をルーペでのぞき込んで驚きました。目に飛び込んできたのは「色の三原色」の細かい網点の集まり。「これや、これ!」。全身に衝撃が走り、頭の中が発想でいっぱいになりました。編み物は「ニット」「タック」「ミス」の3種類の編成方法を組み合わせます。印刷の三原色の仕組みを取り入れればデザインの質と幅が一気に広がるとひらめいたのです。私を探し回る社員の大声で我に返った時には、2時間半もたっていました。』

いかがでしたでしょうか?いつの時代にも不況はありますが、その時どのような考え方をし、どのように決断し、どのように行動するかによって未来が変わるのだと、つくづく感じました。
現在、新型コロナウイルスの影響により、世界的に先が見えない状況にあります。ワクチンの接種が進み、以前のような生活が戻ったとしても、以前のようには戻れない、あるいは戻らない事柄も多数あるように思います。島氏がオイルショックについて言われているように、今はまさに時代の転換点なのだと思います。危機を竹の節のように自らを強くする機会とできるかどうか、それは今にかかっています。今と未来を生きるために、竹のように強くしなやかに考え、決断し、行動していきたいと感じました。


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