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経営サポート隊通信
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Vol.106 2020年10月号

2020年10月01日

10月になりました。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
今月も経営サポート隊通信を元気にお届け致します!

【河合由紀子のちょっとイイ話】
今月は、一倉定の社長学シリーズ「新・社長の姿勢(日本経営合理化協会出版局)」から、伊勢湾台風の際に近鉄の社長であった佐伯勇氏の話を抜粋してお届けします。
『伊勢湾台風の時である。近鉄名古屋線は木曽川の堤防決壊によって名古屋―桑名間の鉄路が水浸しとなり、不通となってしまった。当時の社長佐伯勇はパリに滞在中であった。(中略)本社から帰国の要請を受けた社長は、予定を変更して急遽帰国した。直ちに名古屋からジープを飛ばして木曽川の決壊の現場に駆け付けた。満満と水をたたえたその上に、木曽川の鉄橋が無事の姿を浮かべていた。これを見た社長は、その場で決定というよりは決断ともいうべき重大事を決めたのである。それは、「かねてよりの懸案である“ゲージ”統一を、この際実現する。復旧でなくて建設だ」というワンマン決定である。
当時の近鉄の名古屋線は、大阪から伊勢の中川までは広軌、中川から名古屋までは狭軌であった。そのために、大阪―名古屋間の特急は、中川で乗り換えなければならず、大きなネックになっていたのである。当然のこととして、ゲージを統一して中川―名古屋間を広軌に変えるということが決まっていたが、いろいろな都合でいまだ実現せずに、懸案となっていたのである。社長は翌日、大阪の本社で役員会を開き、渋る役員たちを説得して、全社をあげて建設準備を開始した。やがて水が引き、工事が可能となった。社長の号令一下、全員死に物狂いの突貫工事が開始された。そして、たった9日間で工事を完成させてしまった。離れ業である。こうして名古屋線は広軌一本化が完成し、近鉄の大きな収益源となったのである。
この建設工事に大きな力となったのは、台風で被災した社員である。はじめ、パリで台風被害の報告とともに、700人の被災社員の報告を受けた時に、社長は「前例にとらわれず、会社として最大限の援助をせよ」という指令を発しておいた。もしも「よきに計らえ」という馬鹿殿式の支持をしたならば、役員は必ず“慶弔規定”と“前例”にもとづいた、形式的な見舞い程度のものになってしまう。これでは被災者の援助にはならない。そこで、この指令になったのである。このために、被災社員は大感激して、「社長の温情に報いる道は、この建設工事を、どんなことがあっても成功させることだ」となった。被災しなかった社員も、社長の温情を目の当たりに見て、「社長は、われわれが本当に困った時には救いの手を差し出してくれる」という信頼の上に成り立っているのである。“ストライキのない近鉄”は、このような社長と社員の相互信頼の上に成り立っているのである。』
ピンチをチャンスに変える決断は、会社のためになることであればルールを破ることもできる社長の大きな役割であると言えますね。


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